告白书
告白书
您能为我们举行葬礼,真的是非常感谢。
托福,我的孩子最后终于葬到了坟墓中。
因为子宫等等的原因,我无法有自己的孩子了,因着这一点,我也承受了无尽的偏见。而令这些嘲笑我的人想象不到的,是我有多么恨他们,多么地想要一个孩子。当然,憎恨归憎恨,还是要面对现实。对不起,我要表示我的歉意,请听我这一番自白吧。
因为我自己的疏忽而引发的事故中,我唯一的五岁的孩子死了。那是已经处于高龄的我,承受了剖腹产的风险生下的孩子。然而多么遗憾,看着躺在被褥中死去了的孩子,我的头脑也模糊了起来。
也不知自己想得什么,像砂糖水、热水袋这些东西,还都是照常地去买了回来,不过不知不觉间地,也把防腐剂买回来了。就是觉得可怜,事情过去两天了谁也没有通知,实在是不愿意告诉别人。
孩子像睡着一样躺在那里,可慢慢地僵硬了起来,连双手合十的姿势也做不到了。这时也还是没办法想太多,还是会给他换衣服。想给他换件大一点的睡衣,只好把他的上衣剪开,这样一来露出了身上红色的斑点,不像是虫子咬过的痕迹,看起来像是国旗上的日之丸,像是被印上去的似的,平平的没有凸起。很容易就看出没有血液流动的皮肤似乎都要剥落下来了似的。“变成这样了啊。”我想。
孩子的脸,很快就变成老人的样子了。
我想,与我境遇相同的绘梨香的父亲难波申一先生是能理解我的。
原先全身遍布着皱纹,硬梆梆的坚硬的身体,现在又变得胖了起来,水一样地软下去了,散发出简直是这个世界上最难闻的气味。
我问着这已经无法说出话的孩子“为什么?”
“对不起,妈妈,我想我睡得太久了。”
我的孩子死了,可为什么是我的孩子?我打算把他埋起来,只有我自己知道这件事。我在地板下挖了个洞把孩子埋了进去,难闻的气味消失了,我也从而能够作出坦然的样子。可是,周围的人可能还是会起疑吧,把孩子埋在这里,似乎也还是行不通。几个月后,我又在这里轻轻放下第二个孩子。
前面的话便是我的自白,对上次送来的声明有疑问的人来说,解开他们的疑问也是我这篇告白书的一部分吧。
现在来解答大家的疑问吧。
首先,和大家说说我与真理的关系吧。如果是陌生人与她说话的话,她是未必会跟着人家走的吧。所以事情其实是,我认识真理,真理也认识我啊。我们经常可以看见对方,比方平时走在街上或是别的什么时候。以前甚至还会带真理去糖果店给她买巧克力呢。
其次,这一带都是公寓楼,人多事杂,如果是陌生人走进来,那么旁人肯定会出现怀疑的神色,从而留意“诱拐”这样的情况。我这样安然地把真理带走,其实是因为我在这小区里已经是熟悉的面孔了。
如果被逮捕的话,大家看到是我,一定会感到吃惊的吧。
今野先生,非常可惜,这一切都发生在离你家并不远的地方,也不像大家想的,被带走的真理会哭泣,而是真理她自觉地跟过来的。我和真理在当时所说的话,上次是想着应付警察所以说了谎,这次再重新交待一下吧。我对她说:“今天我们坐车去朋友家吧。”真理同意了,于是我就带着她走了。
在人行天桥的时候,真理却是是自己走上去的,我留意着她周围没有人,也确认了桥下没有过马路的人,于是就跑到路对面的阶梯爬上人行天桥了。
其次,上次的声明中附上了真理的照片,头发并不是湿的,那是因为车上开着空调,穿着单薄的T恤,头发还湿漉漉的真理很容易感冒,所以我用吹风机吹干了些。这张寄去的照片是真理睡着时拍的。在开往河边的路上,我们一句话没有说。
不过,真理在一开始说的那句“我想游泳”是真的。
在上次的声明中我提到“吉泽正美和绘梨香的事件,也许是因为我而触发的事件吧……”可能是我自己没有说清楚,在这个世界上,像我这样的罪人还是很多的吧,我并不是犯下以上全部罪行的人,况且说,一而再、再而三地做同样的事,只会增加自己被抓住的可能。我只是为我的孩子找一个玩伴,没有必要再次冒险。本身来说,偷偷摸摸地隐藏或是行动都是不容易的事,如果因此打破了平静的生活,那就太麻烦了。
我搬家了,新搬来的家的地板下埋了孩子的遗骨,旁边埋了真理的遗骨,这下终于放心了,一切都结束了。
可是——
前不久,在群马县,发现了一个不知身份的孩子的遗骨。
这些遗骨,经过了鉴定,也无法确认身份。
于是发布了“县内发现不明身份遗骨”以及“疑似明子尸骨被发现”这样的报道。
后来,便有了这个叫做明子的孩子的父母为自己的女儿举办起葬礼的报道了。可是,明子的父母也不能确认那就是自己的孩子,可是因为对自己孩子的一片真心,还是将这些遗骨埋葬了。我因为这件事,做了一个决定,并开始计划起来:
我要让我的孩子的遗骨,在今野家的葬礼中,正正式式地埋葬在坟墓中。
当然,其中完全没有真理的遗骨也是会闹麻烦的,所以也要放进来。这样,我5岁的孩子的骨头才能掺进去。
在把骨头送来之前,我把它们都烧了一下,因为这样一来,鉴定的难度就大多了。我把孩子的骨头和真理的骨头(包括她的牙齿)混在了一起放在箱子里。这是我的一场赌博,若是被发现这些骨头的问题的话,真理没办法下葬不说,我也无法取回我的孩子的骨头了。
狭山警署最初发表“误报”的时候,我便开始努力地想办法掩盖,那时候便想要发表一个声明来解决这个问题,一旦被发现那骨头是男女性混合的状态的话,那就太糟糕了。直到这些骨头被安葬好之前,这件事谁也不能知道。
从地板下到墓地里,真理的骨头也好,我的孩子的骨头也罢,谁也不能就这件事指责我,谁也不能夺去葬在墓中的孩子安睡的权力。
实在是让你们费心了,不过还是别再多想了,即便我被捕了,我的孩子也不会为你家的真理让开的。
啊,那可爱的孩子,我给你们送来的那……
不知道离开了我以后,我的孩子现在是怎样了,而我想你们也能感受到与我相同的感受了吧,当看到别人家的父母领着孩子时,也会感受到强烈的嫉妒吧。
可这世间还存在着法律。神啊,原谅我吧,如果不是那样的意外,我的孩子也能像别的孩子一样成长起来的。
但我,我把真理杀害后送来,一切只是为了满足我自己的愿望,完全忽视着神的存在。杀掉了可爱的真理,可是……可是那是为了我自己的孩子,那是为了我自己的孩子啊,我还能怎么办呢?
如果可以,神啊,请让我在这15年内不被逮捕吧。
这是我心里的愿望,在这上诉期的15年内不要有警察过来逮捕我,还有就是,我真的希望能够一直这样看护着那已被埋葬的孩子。
我想,这样一来完全变成了对神的挑战了吧。
对神说出“15年的平安”和“守护着孩子”这两点我死死守着的愿望。
我在这世间,不得不与神搏斗一番了。
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日文原文:
告白文
御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。当然、こうした方々本人が、ひとにひやかされた場合等、その人を憎むことはあっても、そのはけ口を、自分の欲しがっていた子供に向ける筈がありませぬ。あなた方は、「子供がいない理由」だけでは手にかけられないことは悟っていらしたことでしょう。お詫びする相手に対しては、お詫びと共に、やはり、私のことを告白しなければ、示しがつきませんでしょう。
私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子供を殺すようなことをする筈がありません。
では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5歳になる、たった一人の子供を亡くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供をみると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のことしか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。どうしても可哀そうという思いしかなく、誰に知らせることもなく二日がたっていました。もう人に言えない。
子供をいつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけないと思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大きめのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき・・・・。すると、体に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いっていった形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。そこは、できものではなく、平らだし、少しへっこんでいるのです。皮が、はがれて流れることのない血が見えたと言った方が分かりやすいでしょう。「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。
このことは、私と境遇が同じ、あの難波伸一様ならご存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のように、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の悪臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。
自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでしょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をしていたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。臭いも消し、私もそれから平然さを装いました。でも、周囲の人が、そのうち不審に思ってくるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通じるわけがありません。数ヵ月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここまで移って来ました。【子供を一緒にです。】
告白といえば、前回送った文に、疑問を投げかける人がいましたね。こうした疑問に答えることも、告白の重要な要素の一つでしょう。
皆さんの矛盾を解いてさしあげます。
まず、「真理ちゃんは、知っている人でも、すぐについてゆく子ではないだろう。」と、皆さんは言ってますね。当然です。すぐについて来ません。話しが必要です。赤の他人同士の話では来るわけがありません。実は、私も真理ちゃんを知っていて、真理ちゃんも私を知っています。真理ちゃんは、私を深くは知りません。深くは知らないということは「顔」を知っています。歩いていてよく見かけるとかです。よく見かけるということは、永い間、真理ちゃんは、私に何もされていません。もしも私の事をちらっと思うにしろ、”何かされる”思いは、真理ちゃんにはありません。私はまえから、真理ちゃんを見てました。お菓子やさんで、真理ちゃんがビックリチョコとかいうのを買う姿をよく見てました。私も、真理ちゃんが店に入いると、必ずあとから入っていって真理ちゃんに顔をみられておきます。
やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居るようにしなくてはならなかったので、私は既に、この団地に顔見知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。真理ちゃんは、皆さんが思うように、連れていかれそうになれば泣く子でしょう。しかし、真理ちゃん自身が認める相手には連れてゆかれません。ついてきました。私に。皆さんも色々言われますが、真理ちゃんが認める認め方は真理ちゃんが決めます。私が真理ちゃんと話したことは、警察側にカットされました。二度書いても無駄でしょう。真理ちゃんは、日曜日くらいしか、めったに車に乗りません。私は、一方的に真理ちゃんに話しませんでした。”お友達の家に、今日は車で行こうよね。”と、相手に当然合わせなくては、連れてゆける前に、一緒になることなどできません。
歩道橋については、本当に真理ちゃんは一人で登ったのです。そして、真理ちゃんの他に誰も渡ってなく、渡ろうとしている人も一人も居なかったので、確認後、私も反対側から登ったのです。
次に、声明文と一緒に同封した真理ちゃんの顔写真。髪が濡れていないのは当然です。クーラーの車で、髪が濡れていては、すぐにかぜをひきます。Tシャツしか着ていない真理ちゃんの体は、涼しい車内で汗等でべとべと。頭だけでも乾かさないと。と、ドライヤーで乾かしてやりました。送った写真は、真理ちゃんが眠っている時の写真です。川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません。
真理ちゃんが、「私、泳ぎたいの。」と言い出したのは本当です。
今、思えば、”私、水着がないから家に戻って”と、私に言ったのかもしれません。4才にしろ、起きていて寝言は言いません。確かに、私に向かって言いました。突然に言ったので、私もつられたけれど、チャンスと思って、口を合わせたのです。”なぜ、言ったか”など、その時は考えませんでした。”泳ぎたいと言い出す”のとは、必ずしも一致しないと思います。第一、真理ちゃんは一人ではなかったのですよ。真理ちゃんには私が有ったのです。真理ちゃんと同時に私が有るのに、どうして皆さんは、”いつもの真理ちゃん一人の行動”についてしか考えないのでしょうか。
いいですか。”矛盾”と”有り得なく思う”こととは、あくまで異質のものです。”考える”ということは、”自分で思ったことをひらめきにしてしまう”ということとは全く違うことです。これは、警察官が、いつも心えていることでもあります。
声明文中に、”正美ちゃん、絵梨香ちゃんについては、触発されただれかが面白半分にも……”と書きましたが、どうも私が説明し足りなかったせいか、意がゆき届かなかったようです。世の中には、私のような罪人、この罪人でない人の方が多いわけです。つまり、まだ”最初”を知らない人です。その人達は、当然私じゃない。今でもどこかで、”自分は、あんな人じゃないんだ”と、ゆとりを持っている筈です。どう考えても、”まだしてない”以上、面白がりで”してみようとする”ことができるのでしょう。私はそう言ったのです。誤解はしかたなかったにしても、これだけは一緒にしないで下さい。たとえ、二度、三度行うにしても、まさか同じ場所でする筈がありません。度胸がどうのこうのの話ではありません。捕まる可能性を自分で高める人がいるわけがありません。私の子供に、遊び相手を送るにも一人送れば沢山です。二度とする気などありません。隠し場所にだって、こそこそと隠し事にだって困ります。せっかく何事もないように装えた暮らしを、発見の危険性で、その平穏を自ら壊すようなことをするわけがありません。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなかった。
しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後になって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
我が子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」から、「この骨が真理ちゃんのものである」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持てる限りの物証を添えて骨を送った。後に、これは必然して、”正美ちゃんのものではない。”という発表があった。骨は4、5才児のものしか入っていないからです。
私は、贈る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」という発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんのものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全てが賭けだったのです。
狭山署の、最初の発表【誤報】。あの時程、私はひやっとしたことはありませんでした。「これは、私から言い出さねば。」と、それこそ意を踏みました。あの時は、「声明」を出さなければならない状況でした。最初から「声明だ」とし、最後まで一貫しました。文も、男性と女性を混ぜました。もしも、最初から、私を女性だ、と雰囲気でさえ気付かれてしまうと、子供で不幸があった人ではないかと、わずかにでも悟る人が出るんじゃないのかと、そう思ったからです。「墓」に入るまでは、絶対知られたくなかったのです。
声明文の中にも、”今野宅”という文字を一度も使わずに、”真理ちゃん宅”と強く書いた。単語表示、声明文、共に、”真理ちゃんの鑑定をしろ。”と書き、”私の子に気づくな。”と、白紙で書いた。そのため、警察の人は、鑑定を100%したでしょうが、やはり知り得る範囲でしか行うことはできませんでした。
今から墓石をどかして骨を出すわけにはゆかないのです。私の子の骨が混じっているにせよ、真理ちゃんの骨も入いっている。誰も警察を非難しません。だって、真理ちゃんの骨が本当に入いっているからです。誰もとがめません。墓に眠っている子供には、誰一人、手を出しません。眠りをさます権利は、誰にもないからです。
誠におつらいでしょうけれど、どうか目をつむって下さい。もう、もし私が捕まっても、真理ちゃんの骨と、私の子の骨をわけることは不可能です。
子供の骨には、さわらないでください。眠っている霊をいじくらないで下さい。子供は、すぐにおきてしまいます。ですのでお願いです。
私がきりだすのは変ですが、ここで、全国の行方不明者のご両親に言わせて頂きます。もう一度、心あたりを捜せとは言いません。”子供が不明になってから、励ましの手紙が届いてきてもよさそうな人から一通もきていない不自然さを感じる人”とかをご自分でお探しになるとよいでしょう。ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います。警察も、あなた方の知人を一応は調べたでしょうが、あなたとしゃべるいつもの自然な姿を、警察はわかりうることが出きません。犯人が”捕まらない”前に、”見つかるための枠ができない”のです。お子様が見つからなかったのは、警察が捜した所には居なかっただけなのです。どこにも居ない筈がないのです。警察が全てではないのです。警察についていって哀しんでも、それで肝心の子供には、その思いが届いているのでしょうか。犯人の私が言うのは、やはり不自然ですが、私にも、子供に対して、届くこと、届かないことの区別はつきます。
ああ、それにしても可愛い子供。お前に思ってること、届いているの……。
子供のまま死んだ子って、向こうで子供のまま暮らしているんじゃないのかしら。子供のままでちっとも変わらなくて、ずっと苦しんでいるんじゃないのかしら。今頃は、空虚さながらの圧迫にさえなまれているんじゃないかと思うと、私もすぐに行ってあげたい。でも、お母さんが行くと、お前が見てしまう。一人の大人がお前の目の前に現れたら、たとえ、それが親であっても、無事に子供を送れた相手に対して、ものすごい嫉妬でとびかかってくるでしょう。お前は、お母さんにだけは会ってはいけない。でも、会いたい。
現世の刑法を私が終えても、神様は、罪をいつまでも認識して止むことはないでしょう。神様は、私の子を、私を知らない状態でひきあわせるかもしれない。私のことを知らない大人に成長させているかもしれない。
しかし、私は、私の所から真理ちゃんを送った。私が送った。子供に送った。今会えないことがはっきりしているのだから、願いというものが片方から持てる。送れるんだ。それは、私が今生きている以上、神様であろうと邪魔はできない。私が、子供に向けて真里ちゃんを送った。たとえ神様でも理は、くつがえせない。でも苦しい。可愛い真理ちゃんを殺してしまったけど、やはり、私が会いたいのは私の子供。子供のことしか頭にない。ない。どうしたらいいのでしょう。
私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。
そう心に思っていれば、もし神様がそれよりも前に、警察官を私の前に持ってきた時に、「あと15年は捕まりたくない」という私の願いをふみにじってくれるから、私の、真に会いたい状態の我が子に、私は対面できる。
だから私は、「捕まりたくない」と言ったのです。これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
神に対し、「15年は捕まりたくない」といウ「願い」をぶっつけて、「私の会いたい子供に私は会いたい」という「望み」を死守するつもりでおります。
人間が、神と斗う術は、それしかありません
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告白文の三枚目裏に描かれていた、真理ちゃんの写真の図解
在告白书的第三页里画了真理照片的图解。
〈前回送った
真理ちゃんの写真〉
〈緑の光〉
〈写真の白ふち〉
上回寄了真理的照片 绿色的光 白色的照片边缘
※誤字、脱字は原文ママ。
犯行声明と比べると、マスコミに手紙を送ったことの手ごたえに満足したのか、全体的に余裕のようなものが感じられる。今田勇子のキャラも固まってきたようで、より中年女性になりきって書かれている。
与上次的罪行声明比,这次着重了对媒体的反应。署名今田勇子的形象也确定为中年女性。
冒頭で「子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します」と謝罪しているのも、そんな余裕の表れだろうか。テーマ的には、子供を失った自分の境遇の不幸を切々と訴えている文章で、犯行声明よりは挑戦的なトーンは薄れている。
开头“无法有自己的孩子了,因着这一点,我也承受了无尽的偏见”开始,叙述了失去孩子的不幸境遇,这与罪行声明那种充满挑衅的语气完全不同。
しかし、「まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました~」辺りの、自分の子供の話に偽装してはいるものの、死体の観察記録のような部分は、宮崎本人の視線だ。宮崎は小峰峠に放置した真理ちゃんの遺体を5回も観察に出かけているのだ。
“看起来像是国旗上的日之丸,像是被印上去的似的,平平的没有凸起”这样像是尸体观察记录一样的内容,据宫崎后来称,是他曾经五次出门前往放置了真理遗体的小峰峠处去观察来的。
「変わってしまうんだなあ」は宮崎自身の素直な感想だろう。この赤い斑点は、法医学者によると腐敗水泡というもので、実際に遺体を観察した者でなければ書き得ないという。
“变成这样了啊”这应该是宫崎本人坦率的感想。至于描述中的红色斑点,是法医称之为腐败水泡的东西。
また、「残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです」「ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います」と、挑発したり説教をする辺りは相変わらずだ。
另外,“可惜,这一切都发生在离你家不远的地方”这样的话,依旧还是带着挑衅的意味。
前回の犯行声明では「子供の産めない体」だったのが、今回は「5歳になる、たった一人の子供」を亡くした身の上となったり、真理ちゃんを初めて見かけて誘拐したはずが「真理ちゃんとは顔見知りだった」と、内容に矛盾があり、警察に「捜査のかく乱を狙った作文」と一蹴されたのも仕方ないところだろう。
上回的罪行声明里说“无法再有孩子的身体”,这回又是“唯一的5岁的孩子死去了”;以及上次是第一次看见真理便诱拐走,这次则是”熟悉真理的样子“。这样内容的矛盾也许是为了迷惑警方的判断。
個人的に重要と感じる部分は、真理ちゃんの顔写真について説明をしている記述である。
个人觉得重要的部分,则是关于真理的照片的说明。
前回は「プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります」とあったのが、今回は、写真について言及するやいきなり「髪が濡れていないのは当然です」となる。
その理由として「ドライヤーで乾かした」「川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません」と、まるで自分の書いた文章に後からあわてて言い訳を付け足すような、混乱した書き方になっている。
上次的罪行声明说的是“真理自始至终都一直湿着头发,这只有我这个当事人知道”,这次告白书又说“真理的头发确实是干的”,说是“用吹风机吹的”“在去河边的路上,一句话也没有说”,看起来像是写完后又急忙追加的借口。
「真理ちゃんの歯の謎」でも触れたが、犯行声明に貼られていた写真は、真理ちゃんの遺体ビデオを再生した画面から複写したものである。そのことを書く訳にはいかないと思ったのだろう、唐突に「眠ったときの顔を写真に撮った」と、泥縄的な言い訳をしている。
罪行声明里附带着的照片,是从真理的遗体摄影里截图下来处理而成的。说着“是睡着了的时候拍的照片”其实是临阵磨枪的借口。
顔写真についての記述は、何とか自分の作り話と整合性を持たせようと焦っていたのがモロバレな文章である。
「群馬で白骨死体が見つかった明子ちゃん」とは、87年9月に失踪し、一年後に遺体が川原で見つかった大沢朋子ちゃんのことである。〈朋子ちゃん〉を〈明子ちゃん〉と誤記している。この事件は未解決のまま02年に公訴時効となった。
关于“在群马县发现明子的尸骨”这件事,是1987年9月失踪,一年后在川原发现遗体的大泽朋子事件(真实名字是朋子,信中错写成明子),这个事件在02年时上诉期结束,成为了悬案。
当初この事件も一連の事件との関連が疑われたが、地理的に60キロ以上と離れすぎている上、失踪直前に〈自転車を押した30前後の男の後についていく朋子ちゃん〉が目撃されている。発生が真理ちゃん事件の一年前であり、車を使った宮崎の犯行態様とも異なるので一応無関係とされたようだ。
朋子失踪前,有目击者称看到一名30岁左右推着自行车的男子跟踪在朋子后面,这是在真理事件发生的一年前,对于当时已经有了汽车的宫崎来说,犯罪形态关联不大。
だが〈川原で見つかった白骨死体〉のシチュエーションは、犯行声明での真理ちゃん殺害シーンとダブる。宮崎が犯行声明を書くにあたり、この事件を何らかのヒントにした可能性はある。
但是,将川原发现尸骨的场景,与罪行声明中真理被害的场面相提并论,这里面也许也暗示着某种可能性。
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"无限回廊"中关于大泽朋子事件的介绍:
また、この「告白文」の中には次のような文章がある。
<私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終わったのです。それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。やはり、骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものかはわからなかった。しかし、「県内で他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。私のように、後になって骨を運んだ人がいたのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても、両親という物は、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。>
ここで宮﨑が書いている「明子」は「朋子」の間違いで、群馬県尾島町亀岡、小学2年生の大沢朋子ちゃん(8歳)のことである。朋子ちゃんは1987年(昭和62年)9月15日午前11時ころ、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけたまま行方不明になっていた。宮﨑による幼女連続殺人事件が起きる約1年前の出来事である。1988年(昭和63年)11月27日、尾島町前小屋の利根川河川敷で釣り人が散乱した子どもの骨を発見した。骨は頭蓋骨を中心に2~3メートルの範囲内に散乱していたが、両腕のひじから先と両足のひざから先の骨が見つからなかった。死後1年以上経過していた。警察はこの白骨死体を大沢朋子ちゃんである可能性が高いとしたが、その理由は、(1)最後の目撃現場から人骨発見場所が1キロという近い距離であること。(2)朋子ちゃんが行方不明になった時期と死亡推定時期が一致すること。(3)他に行方不明の者がいないこと。(4)その後の白骨死体の血液型が朋子ちゃんと同じB型と判明したことであった。
大沢朋子ちゃんが遺体となって発見されたことと宮﨑とは関係があるのだろうか···。宮﨑は「告白文」の中にわざわざ明子(朋子)ちゃんの名前を出し、他人の犯行であるようには書いているのだが···。朋子ちゃんの事件と宮﨑による一連の事件の共通するところをあげると、(1)朋子ちゃんの発見された骨には「ひじから先とひざから先の骨がない」ということから今野真理ちゃんの事件やのちに殺害されることになる野本綾子ちゃんの事件で遺体が発見されたときの状況を連想させられる。(2)群馬県は北関東で首都圏からはずれるが、埼玉県とは隣接しており、朋子ちゃんの白骨死体が発見された場所は群馬県と埼玉県にまたがって建設中の新上武大橋から下流800メートルの地点である。(3)朋子ちゃんの遺体の発見場所も利根川岸で、宮﨑による殺人事件も入間川(上流は名栗川)沿いであった。(4)朋子ちゃんは当時8歳で、宮﨑が殺害した幼女の年齢は4歳が2人、5歳が1人、7歳が1人となっている。このように、確かに共通する部分は多い。
宮﨑が4人の幼女を殺害したことを自供した頃に発売された1989年9月19日号の『週刊女性』(主婦と生活社)には、<天国の朋子ちゃん/とうとう犯人が見つかったよ···>というタイトルがあり、その上の方には<幼女殺人鬼 宮崎勤/5人目も白状/大沢朋子ちゃん(8歳)も殺して捨てた!?>というキャッチコピーがついている記事が掲載された。この記事の内容の真偽はともかくとして、宮﨑は朋子ちゃんの事件に関わっていたかどうかが不明のまま、結局、宮﨑は「朋子ちゃん事件」で逮捕されることはなかった。2002年(平成14年)9月15日、事件発生から15年が経ったこの日、公訴時効となった。
死刑になる殺人などの公訴時効は2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。
在《告白书》里,有以下的文字:
我搬家了,新搬来的家的地板下埋了孩子的遗骨,旁边埋了真理的遗骨,这下终于放心了,一切都结束了。可是——前不久,在群马县,发现了一个不知身份的孩子的遗骨。这些遗骨,经过了鉴定,也无法确认身份。于是发布了“县内发现不明身份遗骨”以及“疑似明子尸骨被发现”这样的报道。后来,便有了这个叫做明子的孩子的父母为自己的女儿举办起葬礼的报道了。可是,明子的父母也不能确认那就是自己的孩子,可是因为对自己孩子的一片真心,还是将这些遗骨埋葬了。我因为这件事,做了一个决定,并开始计划起来。
在这里,宫崎错把“朋子”写成了“明子”。信中所说的,应该是在群馬県尾島町亀岡,发生在小学2年级的大泽朋子(8岁)身上的事。朋子是1987年9月15日上午11点左右,抱着小猫去自家附近的尾岛公园玩,结果下落不明。这是发生在宫崎的幼女连环杀人事件前一年的事情。1988年11月27日,在尾島町前小屋的利根川河边钓鱼的人发现了散乱的儿童骨骼。以头盖骨为中心,周边2~3米的范围内散落着四肢和躯体的骨骼,最后膝盖骨还没有找到。据判断,已经死亡了一年以上。警察认为这具白骨是大泽朋子的可能性比较高,一是最后的朋子目击者目击现场距离这个遗骨发现现场只有1公里的距离,二是死亡时间和朋子的失踪事件比较契合,三是同时期没有类似的失踪情况,四是鉴定出白骨的血型和朋子一致,都是B型。
大泽朋子遗体发现的事情也许和宫崎有关吧?宫崎的《告白书》特地把朋子的事写出来,设定成别人犯下的罪行。朋子的事情和宫崎所引发的一系列事件有一定的相似之处:一是朋子的膝盖骨一直没有找到,这容易让人联想到今野真理及野本绫子的遗体的发现状况,二是群马县在东京都北部,和崎玉县相邻,朋子的遗骨是在跨越群马县和崎玉县的新上武大桥下部远处被发现的,三是朋子遗体发现地的利根川河边,和宫崎杀害绘梨香的入间川(名栗川上游)附近是沿途,四是朋子当时8岁,宫崎杀害的幼女年龄分别是4岁2人、5岁1人、7岁1人。这么一看,确实是有很多共通的地方。
宫崎供述杀害4名幼女后,在1989年9月19日发售的《周刊女性》中,刊登了《天国的朋子小朋友/终于抓到了罪魁祸首…》这样的标题,副标题是《幼女杀人鬼宫崎勤/坦白的第五个人/大泽朋子也杀害弃尸了?!》。这篇报道的真假不论,宫崎与朋子的事情是否有关也不得而知了,2002年9月15日,从事件发生开始到15年后的这一天,公诉时效到了。
判处死刑的杀人事件,公诉时效在2005年1月1日实施的修改后的刑事诉讼法规定中,由原先的15年改成了25年。后来,2010年4月27日实施的再次修改的刑事诉讼法规定,杀人、抢劫杀人的公诉时效废除。
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● 日文原文版权归原作者所有:
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http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
● 中文部分则是与谷歌翻译器、百度翻译器合作翻译。
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另外:
在之前的《罪行声明》中,附着的据称是“真理睡着了”的照片,在这次的《告白书》中也有对此进一步画图的解释。
您能为我们举行葬礼,真的是非常感谢。
托福,我的孩子最后终于葬到了坟墓中。
因为子宫等等的原因,我无法有自己的孩子了,因着这一点,我也承受了无尽的偏见。而令这些嘲笑我的人想象不到的,是我有多么恨他们,多么地想要一个孩子。当然,憎恨归憎恨,还是要面对现实。对不起,我要表示我的歉意,请听我这一番自白吧。
因为我自己的疏忽而引发的事故中,我唯一的五岁的孩子死了。那是已经处于高龄的我,承受了剖腹产的风险生下的孩子。然而多么遗憾,看着躺在被褥中死去了的孩子,我的头脑也模糊了起来。
也不知自己想得什么,像砂糖水、热水袋这些东西,还都是照常地去买了回来,不过不知不觉间地,也把防腐剂买回来了。就是觉得可怜,事情过去两天了谁也没有通知,实在是不愿意告诉别人。
孩子像睡着一样躺在那里,可慢慢地僵硬了起来,连双手合十的姿势也做不到了。这时也还是没办法想太多,还是会给他换衣服。想给他换件大一点的睡衣,只好把他的上衣剪开,这样一来露出了身上红色的斑点,不像是虫子咬过的痕迹,看起来像是国旗上的日之丸,像是被印上去的似的,平平的没有凸起。很容易就看出没有血液流动的皮肤似乎都要剥落下来了似的。“变成这样了啊。”我想。
孩子的脸,很快就变成老人的样子了。
我想,与我境遇相同的绘梨香的父亲难波申一先生是能理解我的。
原先全身遍布着皱纹,硬梆梆的坚硬的身体,现在又变得胖了起来,水一样地软下去了,散发出简直是这个世界上最难闻的气味。
我问着这已经无法说出话的孩子“为什么?”
“对不起,妈妈,我想我睡得太久了。”
我的孩子死了,可为什么是我的孩子?我打算把他埋起来,只有我自己知道这件事。我在地板下挖了个洞把孩子埋了进去,难闻的气味消失了,我也从而能够作出坦然的样子。可是,周围的人可能还是会起疑吧,把孩子埋在这里,似乎也还是行不通。几个月后,我又在这里轻轻放下第二个孩子。
前面的话便是我的自白,对上次送来的声明有疑问的人来说,解开他们的疑问也是我这篇告白书的一部分吧。
现在来解答大家的疑问吧。
首先,和大家说说我与真理的关系吧。如果是陌生人与她说话的话,她是未必会跟着人家走的吧。所以事情其实是,我认识真理,真理也认识我啊。我们经常可以看见对方,比方平时走在街上或是别的什么时候。以前甚至还会带真理去糖果店给她买巧克力呢。
其次,这一带都是公寓楼,人多事杂,如果是陌生人走进来,那么旁人肯定会出现怀疑的神色,从而留意“诱拐”这样的情况。我这样安然地把真理带走,其实是因为我在这小区里已经是熟悉的面孔了。
如果被逮捕的话,大家看到是我,一定会感到吃惊的吧。
今野先生,非常可惜,这一切都发生在离你家并不远的地方,也不像大家想的,被带走的真理会哭泣,而是真理她自觉地跟过来的。我和真理在当时所说的话,上次是想着应付警察所以说了谎,这次再重新交待一下吧。我对她说:“今天我们坐车去朋友家吧。”真理同意了,于是我就带着她走了。
在人行天桥的时候,真理却是是自己走上去的,我留意着她周围没有人,也确认了桥下没有过马路的人,于是就跑到路对面的阶梯爬上人行天桥了。
其次,上次的声明中附上了真理的照片,头发并不是湿的,那是因为车上开着空调,穿着单薄的T恤,头发还湿漉漉的真理很容易感冒,所以我用吹风机吹干了些。这张寄去的照片是真理睡着时拍的。在开往河边的路上,我们一句话没有说。
不过,真理在一开始说的那句“我想游泳”是真的。
在上次的声明中我提到“吉泽正美和绘梨香的事件,也许是因为我而触发的事件吧……”可能是我自己没有说清楚,在这个世界上,像我这样的罪人还是很多的吧,我并不是犯下以上全部罪行的人,况且说,一而再、再而三地做同样的事,只会增加自己被抓住的可能。我只是为我的孩子找一个玩伴,没有必要再次冒险。本身来说,偷偷摸摸地隐藏或是行动都是不容易的事,如果因此打破了平静的生活,那就太麻烦了。
我搬家了,新搬来的家的地板下埋了孩子的遗骨,旁边埋了真理的遗骨,这下终于放心了,一切都结束了。
可是——
前不久,在群马县,发现了一个不知身份的孩子的遗骨。
这些遗骨,经过了鉴定,也无法确认身份。
于是发布了“县内发现不明身份遗骨”以及“疑似明子尸骨被发现”这样的报道。
后来,便有了这个叫做明子的孩子的父母为自己的女儿举办起葬礼的报道了。可是,明子的父母也不能确认那就是自己的孩子,可是因为对自己孩子的一片真心,还是将这些遗骨埋葬了。我因为这件事,做了一个决定,并开始计划起来:
我要让我的孩子的遗骨,在今野家的葬礼中,正正式式地埋葬在坟墓中。
当然,其中完全没有真理的遗骨也是会闹麻烦的,所以也要放进来。这样,我5岁的孩子的骨头才能掺进去。
在把骨头送来之前,我把它们都烧了一下,因为这样一来,鉴定的难度就大多了。我把孩子的骨头和真理的骨头(包括她的牙齿)混在了一起放在箱子里。这是我的一场赌博,若是被发现这些骨头的问题的话,真理没办法下葬不说,我也无法取回我的孩子的骨头了。
狭山警署最初发表“误报”的时候,我便开始努力地想办法掩盖,那时候便想要发表一个声明来解决这个问题,一旦被发现那骨头是男女性混合的状态的话,那就太糟糕了。直到这些骨头被安葬好之前,这件事谁也不能知道。
从地板下到墓地里,真理的骨头也好,我的孩子的骨头也罢,谁也不能就这件事指责我,谁也不能夺去葬在墓中的孩子安睡的权力。
实在是让你们费心了,不过还是别再多想了,即便我被捕了,我的孩子也不会为你家的真理让开的。
啊,那可爱的孩子,我给你们送来的那……
不知道离开了我以后,我的孩子现在是怎样了,而我想你们也能感受到与我相同的感受了吧,当看到别人家的父母领着孩子时,也会感受到强烈的嫉妒吧。
可这世间还存在着法律。神啊,原谅我吧,如果不是那样的意外,我的孩子也能像别的孩子一样成长起来的。
但我,我把真理杀害后送来,一切只是为了满足我自己的愿望,完全忽视着神的存在。杀掉了可爱的真理,可是……可是那是为了我自己的孩子,那是为了我自己的孩子啊,我还能怎么办呢?
如果可以,神啊,请让我在这15年内不被逮捕吧。
这是我心里的愿望,在这上诉期的15年内不要有警察过来逮捕我,还有就是,我真的希望能够一直这样看护着那已被埋葬的孩子。
我想,这样一来完全变成了对神的挑战了吧。
对神说出“15年的平安”和“守护着孩子”这两点我死死守着的愿望。
我在这世间,不得不与神搏斗一番了。
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日文原文:
告白文
御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。当然、こうした方々本人が、ひとにひやかされた場合等、その人を憎むことはあっても、そのはけ口を、自分の欲しがっていた子供に向ける筈がありませぬ。あなた方は、「子供がいない理由」だけでは手にかけられないことは悟っていらしたことでしょう。お詫びする相手に対しては、お詫びと共に、やはり、私のことを告白しなければ、示しがつきませんでしょう。
私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子供を殺すようなことをする筈がありません。
では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5歳になる、たった一人の子供を亡くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供をみると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のことしか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。どうしても可哀そうという思いしかなく、誰に知らせることもなく二日がたっていました。もう人に言えない。
子供をいつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけないと思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大きめのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき・・・・。すると、体に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いっていった形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。そこは、できものではなく、平らだし、少しへっこんでいるのです。皮が、はがれて流れることのない血が見えたと言った方が分かりやすいでしょう。「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。
このことは、私と境遇が同じ、あの難波伸一様ならご存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のように、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の悪臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。
自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでしょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をしていたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。臭いも消し、私もそれから平然さを装いました。でも、周囲の人が、そのうち不審に思ってくるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通じるわけがありません。数ヵ月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここまで移って来ました。【子供を一緒にです。】
告白といえば、前回送った文に、疑問を投げかける人がいましたね。こうした疑問に答えることも、告白の重要な要素の一つでしょう。
皆さんの矛盾を解いてさしあげます。
まず、「真理ちゃんは、知っている人でも、すぐについてゆく子ではないだろう。」と、皆さんは言ってますね。当然です。すぐについて来ません。話しが必要です。赤の他人同士の話では来るわけがありません。実は、私も真理ちゃんを知っていて、真理ちゃんも私を知っています。真理ちゃんは、私を深くは知りません。深くは知らないということは「顔」を知っています。歩いていてよく見かけるとかです。よく見かけるということは、永い間、真理ちゃんは、私に何もされていません。もしも私の事をちらっと思うにしろ、”何かされる”思いは、真理ちゃんにはありません。私はまえから、真理ちゃんを見てました。お菓子やさんで、真理ちゃんがビックリチョコとかいうのを買う姿をよく見てました。私も、真理ちゃんが店に入いると、必ずあとから入っていって真理ちゃんに顔をみられておきます。
やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居るようにしなくてはならなかったので、私は既に、この団地に顔見知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。真理ちゃんは、皆さんが思うように、連れていかれそうになれば泣く子でしょう。しかし、真理ちゃん自身が認める相手には連れてゆかれません。ついてきました。私に。皆さんも色々言われますが、真理ちゃんが認める認め方は真理ちゃんが決めます。私が真理ちゃんと話したことは、警察側にカットされました。二度書いても無駄でしょう。真理ちゃんは、日曜日くらいしか、めったに車に乗りません。私は、一方的に真理ちゃんに話しませんでした。”お友達の家に、今日は車で行こうよね。”と、相手に当然合わせなくては、連れてゆける前に、一緒になることなどできません。
歩道橋については、本当に真理ちゃんは一人で登ったのです。そして、真理ちゃんの他に誰も渡ってなく、渡ろうとしている人も一人も居なかったので、確認後、私も反対側から登ったのです。
次に、声明文と一緒に同封した真理ちゃんの顔写真。髪が濡れていないのは当然です。クーラーの車で、髪が濡れていては、すぐにかぜをひきます。Tシャツしか着ていない真理ちゃんの体は、涼しい車内で汗等でべとべと。頭だけでも乾かさないと。と、ドライヤーで乾かしてやりました。送った写真は、真理ちゃんが眠っている時の写真です。川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません。
真理ちゃんが、「私、泳ぎたいの。」と言い出したのは本当です。
今、思えば、”私、水着がないから家に戻って”と、私に言ったのかもしれません。4才にしろ、起きていて寝言は言いません。確かに、私に向かって言いました。突然に言ったので、私もつられたけれど、チャンスと思って、口を合わせたのです。”なぜ、言ったか”など、その時は考えませんでした。”泳ぎたいと言い出す”のとは、必ずしも一致しないと思います。第一、真理ちゃんは一人ではなかったのですよ。真理ちゃんには私が有ったのです。真理ちゃんと同時に私が有るのに、どうして皆さんは、”いつもの真理ちゃん一人の行動”についてしか考えないのでしょうか。
いいですか。”矛盾”と”有り得なく思う”こととは、あくまで異質のものです。”考える”ということは、”自分で思ったことをひらめきにしてしまう”ということとは全く違うことです。これは、警察官が、いつも心えていることでもあります。
声明文中に、”正美ちゃん、絵梨香ちゃんについては、触発されただれかが面白半分にも……”と書きましたが、どうも私が説明し足りなかったせいか、意がゆき届かなかったようです。世の中には、私のような罪人、この罪人でない人の方が多いわけです。つまり、まだ”最初”を知らない人です。その人達は、当然私じゃない。今でもどこかで、”自分は、あんな人じゃないんだ”と、ゆとりを持っている筈です。どう考えても、”まだしてない”以上、面白がりで”してみようとする”ことができるのでしょう。私はそう言ったのです。誤解はしかたなかったにしても、これだけは一緒にしないで下さい。たとえ、二度、三度行うにしても、まさか同じ場所でする筈がありません。度胸がどうのこうのの話ではありません。捕まる可能性を自分で高める人がいるわけがありません。私の子供に、遊び相手を送るにも一人送れば沢山です。二度とする気などありません。隠し場所にだって、こそこそと隠し事にだって困ります。せっかく何事もないように装えた暮らしを、発見の危険性で、その平穏を自ら壊すようなことをするわけがありません。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなかった。
しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後になって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
我が子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」から、「この骨が真理ちゃんのものである」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持てる限りの物証を添えて骨を送った。後に、これは必然して、”正美ちゃんのものではない。”という発表があった。骨は4、5才児のものしか入っていないからです。
私は、贈る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」という発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんのものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全てが賭けだったのです。
狭山署の、最初の発表【誤報】。あの時程、私はひやっとしたことはありませんでした。「これは、私から言い出さねば。」と、それこそ意を踏みました。あの時は、「声明」を出さなければならない状況でした。最初から「声明だ」とし、最後まで一貫しました。文も、男性と女性を混ぜました。もしも、最初から、私を女性だ、と雰囲気でさえ気付かれてしまうと、子供で不幸があった人ではないかと、わずかにでも悟る人が出るんじゃないのかと、そう思ったからです。「墓」に入るまでは、絶対知られたくなかったのです。
声明文の中にも、”今野宅”という文字を一度も使わずに、”真理ちゃん宅”と強く書いた。単語表示、声明文、共に、”真理ちゃんの鑑定をしろ。”と書き、”私の子に気づくな。”と、白紙で書いた。そのため、警察の人は、鑑定を100%したでしょうが、やはり知り得る範囲でしか行うことはできませんでした。
今から墓石をどかして骨を出すわけにはゆかないのです。私の子の骨が混じっているにせよ、真理ちゃんの骨も入いっている。誰も警察を非難しません。だって、真理ちゃんの骨が本当に入いっているからです。誰もとがめません。墓に眠っている子供には、誰一人、手を出しません。眠りをさます権利は、誰にもないからです。
誠におつらいでしょうけれど、どうか目をつむって下さい。もう、もし私が捕まっても、真理ちゃんの骨と、私の子の骨をわけることは不可能です。
子供の骨には、さわらないでください。眠っている霊をいじくらないで下さい。子供は、すぐにおきてしまいます。ですのでお願いです。
私がきりだすのは変ですが、ここで、全国の行方不明者のご両親に言わせて頂きます。もう一度、心あたりを捜せとは言いません。”子供が不明になってから、励ましの手紙が届いてきてもよさそうな人から一通もきていない不自然さを感じる人”とかをご自分でお探しになるとよいでしょう。ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います。警察も、あなた方の知人を一応は調べたでしょうが、あなたとしゃべるいつもの自然な姿を、警察はわかりうることが出きません。犯人が”捕まらない”前に、”見つかるための枠ができない”のです。お子様が見つからなかったのは、警察が捜した所には居なかっただけなのです。どこにも居ない筈がないのです。警察が全てではないのです。警察についていって哀しんでも、それで肝心の子供には、その思いが届いているのでしょうか。犯人の私が言うのは、やはり不自然ですが、私にも、子供に対して、届くこと、届かないことの区別はつきます。
ああ、それにしても可愛い子供。お前に思ってること、届いているの……。
子供のまま死んだ子って、向こうで子供のまま暮らしているんじゃないのかしら。子供のままでちっとも変わらなくて、ずっと苦しんでいるんじゃないのかしら。今頃は、空虚さながらの圧迫にさえなまれているんじゃないかと思うと、私もすぐに行ってあげたい。でも、お母さんが行くと、お前が見てしまう。一人の大人がお前の目の前に現れたら、たとえ、それが親であっても、無事に子供を送れた相手に対して、ものすごい嫉妬でとびかかってくるでしょう。お前は、お母さんにだけは会ってはいけない。でも、会いたい。
現世の刑法を私が終えても、神様は、罪をいつまでも認識して止むことはないでしょう。神様は、私の子を、私を知らない状態でひきあわせるかもしれない。私のことを知らない大人に成長させているかもしれない。
しかし、私は、私の所から真理ちゃんを送った。私が送った。子供に送った。今会えないことがはっきりしているのだから、願いというものが片方から持てる。送れるんだ。それは、私が今生きている以上、神様であろうと邪魔はできない。私が、子供に向けて真里ちゃんを送った。たとえ神様でも理は、くつがえせない。でも苦しい。可愛い真理ちゃんを殺してしまったけど、やはり、私が会いたいのは私の子供。子供のことしか頭にない。ない。どうしたらいいのでしょう。
私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。
そう心に思っていれば、もし神様がそれよりも前に、警察官を私の前に持ってきた時に、「あと15年は捕まりたくない」という私の願いをふみにじってくれるから、私の、真に会いたい状態の我が子に、私は対面できる。
だから私は、「捕まりたくない」と言ったのです。これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
神に対し、「15年は捕まりたくない」といウ「願い」をぶっつけて、「私の会いたい子供に私は会いたい」という「望み」を死守するつもりでおります。
人間が、神と斗う術は、それしかありません
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告白文の三枚目裏に描かれていた、真理ちゃんの写真の図解
在告白书的第三页里画了真理照片的图解。
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〈前回送った
真理ちゃんの写真〉
〈緑の光〉
〈写真の白ふち〉
上回寄了真理的照片 绿色的光 白色的照片边缘
※誤字、脱字は原文ママ。
犯行声明と比べると、マスコミに手紙を送ったことの手ごたえに満足したのか、全体的に余裕のようなものが感じられる。今田勇子のキャラも固まってきたようで、より中年女性になりきって書かれている。
与上次的罪行声明比,这次着重了对媒体的反应。署名今田勇子的形象也确定为中年女性。
冒頭で「子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します」と謝罪しているのも、そんな余裕の表れだろうか。テーマ的には、子供を失った自分の境遇の不幸を切々と訴えている文章で、犯行声明よりは挑戦的なトーンは薄れている。
开头“无法有自己的孩子了,因着这一点,我也承受了无尽的偏见”开始,叙述了失去孩子的不幸境遇,这与罪行声明那种充满挑衅的语气完全不同。
しかし、「まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました~」辺りの、自分の子供の話に偽装してはいるものの、死体の観察記録のような部分は、宮崎本人の視線だ。宮崎は小峰峠に放置した真理ちゃんの遺体を5回も観察に出かけているのだ。
“看起来像是国旗上的日之丸,像是被印上去的似的,平平的没有凸起”这样像是尸体观察记录一样的内容,据宫崎后来称,是他曾经五次出门前往放置了真理遗体的小峰峠处去观察来的。
「変わってしまうんだなあ」は宮崎自身の素直な感想だろう。この赤い斑点は、法医学者によると腐敗水泡というもので、実際に遺体を観察した者でなければ書き得ないという。
“变成这样了啊”这应该是宫崎本人坦率的感想。至于描述中的红色斑点,是法医称之为腐败水泡的东西。
また、「残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです」「ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います」と、挑発したり説教をする辺りは相変わらずだ。
另外,“可惜,这一切都发生在离你家不远的地方”这样的话,依旧还是带着挑衅的意味。
前回の犯行声明では「子供の産めない体」だったのが、今回は「5歳になる、たった一人の子供」を亡くした身の上となったり、真理ちゃんを初めて見かけて誘拐したはずが「真理ちゃんとは顔見知りだった」と、内容に矛盾があり、警察に「捜査のかく乱を狙った作文」と一蹴されたのも仕方ないところだろう。
上回的罪行声明里说“无法再有孩子的身体”,这回又是“唯一的5岁的孩子死去了”;以及上次是第一次看见真理便诱拐走,这次则是”熟悉真理的样子“。这样内容的矛盾也许是为了迷惑警方的判断。
個人的に重要と感じる部分は、真理ちゃんの顔写真について説明をしている記述である。
个人觉得重要的部分,则是关于真理的照片的说明。
前回は「プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります」とあったのが、今回は、写真について言及するやいきなり「髪が濡れていないのは当然です」となる。
その理由として「ドライヤーで乾かした」「川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません」と、まるで自分の書いた文章に後からあわてて言い訳を付け足すような、混乱した書き方になっている。
上次的罪行声明说的是“真理自始至终都一直湿着头发,这只有我这个当事人知道”,这次告白书又说“真理的头发确实是干的”,说是“用吹风机吹的”“在去河边的路上,一句话也没有说”,看起来像是写完后又急忙追加的借口。
「真理ちゃんの歯の謎」でも触れたが、犯行声明に貼られていた写真は、真理ちゃんの遺体ビデオを再生した画面から複写したものである。そのことを書く訳にはいかないと思ったのだろう、唐突に「眠ったときの顔を写真に撮った」と、泥縄的な言い訳をしている。
罪行声明里附带着的照片,是从真理的遗体摄影里截图下来处理而成的。说着“是睡着了的时候拍的照片”其实是临阵磨枪的借口。
顔写真についての記述は、何とか自分の作り話と整合性を持たせようと焦っていたのがモロバレな文章である。
「群馬で白骨死体が見つかった明子ちゃん」とは、87年9月に失踪し、一年後に遺体が川原で見つかった大沢朋子ちゃんのことである。〈朋子ちゃん〉を〈明子ちゃん〉と誤記している。この事件は未解決のまま02年に公訴時効となった。
关于“在群马县发现明子的尸骨”这件事,是1987年9月失踪,一年后在川原发现遗体的大泽朋子事件(真实名字是朋子,信中错写成明子),这个事件在02年时上诉期结束,成为了悬案。
当初この事件も一連の事件との関連が疑われたが、地理的に60キロ以上と離れすぎている上、失踪直前に〈自転車を押した30前後の男の後についていく朋子ちゃん〉が目撃されている。発生が真理ちゃん事件の一年前であり、車を使った宮崎の犯行態様とも異なるので一応無関係とされたようだ。
朋子失踪前,有目击者称看到一名30岁左右推着自行车的男子跟踪在朋子后面,这是在真理事件发生的一年前,对于当时已经有了汽车的宫崎来说,犯罪形态关联不大。
だが〈川原で見つかった白骨死体〉のシチュエーションは、犯行声明での真理ちゃん殺害シーンとダブる。宮崎が犯行声明を書くにあたり、この事件を何らかのヒントにした可能性はある。
但是,将川原发现尸骨的场景,与罪行声明中真理被害的场面相提并论,这里面也许也暗示着某种可能性。
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"无限回廊"中关于大泽朋子事件的介绍:
また、この「告白文」の中には次のような文章がある。
<私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終わったのです。それが、しかしです。やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。やはり、骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものかはわからなかった。しかし、「県内で他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。私のように、後になって骨を運んだ人がいたのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても、両親という物は、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。>
ここで宮﨑が書いている「明子」は「朋子」の間違いで、群馬県尾島町亀岡、小学2年生の大沢朋子ちゃん(8歳)のことである。朋子ちゃんは1987年(昭和62年)9月15日午前11時ころ、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけたまま行方不明になっていた。宮﨑による幼女連続殺人事件が起きる約1年前の出来事である。1988年(昭和63年)11月27日、尾島町前小屋の利根川河川敷で釣り人が散乱した子どもの骨を発見した。骨は頭蓋骨を中心に2~3メートルの範囲内に散乱していたが、両腕のひじから先と両足のひざから先の骨が見つからなかった。死後1年以上経過していた。警察はこの白骨死体を大沢朋子ちゃんである可能性が高いとしたが、その理由は、(1)最後の目撃現場から人骨発見場所が1キロという近い距離であること。(2)朋子ちゃんが行方不明になった時期と死亡推定時期が一致すること。(3)他に行方不明の者がいないこと。(4)その後の白骨死体の血液型が朋子ちゃんと同じB型と判明したことであった。
大沢朋子ちゃんが遺体となって発見されたことと宮﨑とは関係があるのだろうか···。宮﨑は「告白文」の中にわざわざ明子(朋子)ちゃんの名前を出し、他人の犯行であるようには書いているのだが···。朋子ちゃんの事件と宮﨑による一連の事件の共通するところをあげると、(1)朋子ちゃんの発見された骨には「ひじから先とひざから先の骨がない」ということから今野真理ちゃんの事件やのちに殺害されることになる野本綾子ちゃんの事件で遺体が発見されたときの状況を連想させられる。(2)群馬県は北関東で首都圏からはずれるが、埼玉県とは隣接しており、朋子ちゃんの白骨死体が発見された場所は群馬県と埼玉県にまたがって建設中の新上武大橋から下流800メートルの地点である。(3)朋子ちゃんの遺体の発見場所も利根川岸で、宮﨑による殺人事件も入間川(上流は名栗川)沿いであった。(4)朋子ちゃんは当時8歳で、宮﨑が殺害した幼女の年齢は4歳が2人、5歳が1人、7歳が1人となっている。このように、確かに共通する部分は多い。
宮﨑が4人の幼女を殺害したことを自供した頃に発売された1989年9月19日号の『週刊女性』(主婦と生活社)には、<天国の朋子ちゃん/とうとう犯人が見つかったよ···>というタイトルがあり、その上の方には<幼女殺人鬼 宮崎勤/5人目も白状/大沢朋子ちゃん(8歳)も殺して捨てた!?>というキャッチコピーがついている記事が掲載された。この記事の内容の真偽はともかくとして、宮﨑は朋子ちゃんの事件に関わっていたかどうかが不明のまま、結局、宮﨑は「朋子ちゃん事件」で逮捕されることはなかった。2002年(平成14年)9月15日、事件発生から15年が経ったこの日、公訴時効となった。
死刑になる殺人などの公訴時効は2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。
在《告白书》里,有以下的文字:
我搬家了,新搬来的家的地板下埋了孩子的遗骨,旁边埋了真理的遗骨,这下终于放心了,一切都结束了。可是——前不久,在群马县,发现了一个不知身份的孩子的遗骨。这些遗骨,经过了鉴定,也无法确认身份。于是发布了“县内发现不明身份遗骨”以及“疑似明子尸骨被发现”这样的报道。后来,便有了这个叫做明子的孩子的父母为自己的女儿举办起葬礼的报道了。可是,明子的父母也不能确认那就是自己的孩子,可是因为对自己孩子的一片真心,还是将这些遗骨埋葬了。我因为这件事,做了一个决定,并开始计划起来。
在这里,宫崎错把“朋子”写成了“明子”。信中所说的,应该是在群馬県尾島町亀岡,发生在小学2年级的大泽朋子(8岁)身上的事。朋子是1987年9月15日上午11点左右,抱着小猫去自家附近的尾岛公园玩,结果下落不明。这是发生在宫崎的幼女连环杀人事件前一年的事情。1988年11月27日,在尾島町前小屋的利根川河边钓鱼的人发现了散乱的儿童骨骼。以头盖骨为中心,周边2~3米的范围内散落着四肢和躯体的骨骼,最后膝盖骨还没有找到。据判断,已经死亡了一年以上。警察认为这具白骨是大泽朋子的可能性比较高,一是最后的朋子目击者目击现场距离这个遗骨发现现场只有1公里的距离,二是死亡时间和朋子的失踪事件比较契合,三是同时期没有类似的失踪情况,四是鉴定出白骨的血型和朋子一致,都是B型。
大泽朋子遗体发现的事情也许和宫崎有关吧?宫崎的《告白书》特地把朋子的事写出来,设定成别人犯下的罪行。朋子的事情和宫崎所引发的一系列事件有一定的相似之处:一是朋子的膝盖骨一直没有找到,这容易让人联想到今野真理及野本绫子的遗体的发现状况,二是群马县在东京都北部,和崎玉县相邻,朋子的遗骨是在跨越群马县和崎玉县的新上武大桥下部远处被发现的,三是朋子遗体发现地的利根川河边,和宫崎杀害绘梨香的入间川(名栗川上游)附近是沿途,四是朋子当时8岁,宫崎杀害的幼女年龄分别是4岁2人、5岁1人、7岁1人。这么一看,确实是有很多共通的地方。
宫崎供述杀害4名幼女后,在1989年9月19日发售的《周刊女性》中,刊登了《天国的朋子小朋友/终于抓到了罪魁祸首…》这样的标题,副标题是《幼女杀人鬼宫崎勤/坦白的第五个人/大泽朋子也杀害弃尸了?!》。这篇报道的真假不论,宫崎与朋子的事情是否有关也不得而知了,2002年9月15日,从事件发生开始到15年后的这一天,公诉时效到了。
判处死刑的杀人事件,公诉时效在2005年1月1日实施的修改后的刑事诉讼法规定中,由原先的15年改成了25年。后来,2010年4月27日实施的再次修改的刑事诉讼法规定,杀人、抢劫杀人的公诉时效废除。
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● 日文原文版权归原作者所有:
http://std2g.web.fc2.com/shiryou/kokuhaku.html
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
● 中文部分则是与谷歌翻译器、百度翻译器合作翻译。
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另外:
在之前的《罪行声明》中,附着的据称是“真理睡着了”的照片,在这次的《告白书》中也有对此进一步画图的解释。
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