翻译 2017年12月9日(土) 天声人语 桌上四季
天声人语:八幡さまの目の前で 在八幡大神眼前
江戸情緒の残る参道を抜け、大鳥居をくぐると「立入禁止 警視庁」という黄色の規制線が目を射る。東京都江東区の富岡八幡宮では周辺の辻々に警官が立ち、境内の「横綱力士碑」には近づけなかった▼「深川の八幡さま」と親しまれる神社で、女性宮司と実弟である元宮司、妻の3人が死亡する驚きの事件が起きた。弟が姉に切りつけたらしい。子細はわからないものの、日本刀を振りまわすとは尋常ではない
穿过保留着江户风情的参道、钻过大鸟居后,写有“禁止入内 警视厅”字样的黄色警示带出现在眼前。东京都江东区的富冈八幡宫周围各路口有警察警戒,所以笔者没能看到神社内的“横纲力士碑”。▼在这座被人们亲切地称作“深川八幡大神”的神社内,发生了女宫司、胞弟前宫司以及胞弟妻子三人死亡的惊人事件。听说是胞弟拿日本刀砍杀了姐姐。虽然还不清楚事件缘由,但挥舞日本刀杀人让整件事变得很不寻常。
▼惨劇の報に接して思い出すのは、大竹文雄・大阪大教授らが今年発表した研究成果だ。寺院や神社の近所で育った人は、そうでない人に比べて、人を信頼し、恩を返したいと考える傾向が強い。それが幸福感や健康にもよい影響を与えるという▼いわく、神社は地域社会の拠点で、子ども会行事や清掃、盆踊りなどが盛んだ。親切には親切で報い、労をいとわず人助けをしようという志向が住民に見られるという。なるほど江戸三大祭りで知られる富岡八幡宮のような神社では、いまも地域住民の結びつきは強い
▼听闻惨剧后,笔者想起了大阪大学教授大竹文雄等于今年发表的研究成果:在寺院或神社附近长大的人,较之其他地方的人会更加信赖别人、更懂得报恩,这一点对他们的幸福感与身心健康也大有卑益。▼教授们指出,神社是区域社会的据点,经常组织儿童会活动、扫除、盂兰盆会舞等。附近居民普遍有着以善待善和不辞辛劳、乐于助人的意识。的确,例如因江户三大祭而闻名的富冈八幡宫这样的神社,其附近居民间的关系如今依然很深厚。
▼「江戸屈指の大社で、祭礼のにぎやかさ、各氏子(うじこ)中が趣向をこらして練り出す山車や(略)大神楽(だいかぐら)の美々(びび)しさでも満都に鳴りひびいている」。作家の故杉本苑子(そのこ)さんは小説『永代橋(えいたいばし)崩落』で200年前の活況を描写している。そのころから氏子たちの熱意は格別だったのだろう▼それにしても何が凶行に駆り立てたのか。400年近く信仰を寄せ、祭礼を支えてきた人々にすれば、これほどの落胆はあるまい。
▼“这里是江户数一数二的大社,祭祀仪式之热闹,神社信徒们共同制作的花车(略)还有大神乐舞之华丽,驰名整个江户。”已故作家杉本苑子女士在小说《永代桥 崩落》中描绘了200年前的盛况。大概从那时起,神社信徒们就格外热情。▼即使这样,仍有什么事情驱使凶手行凶吗?近400年间,无数的人将信仰寄托于这座神社,支持着神社的祭祀仪式。在他们看来,应该不会有比凶案更叫人沮丧的事了。
桌上四季:イクジョ 奶妈
山ガールやリケジョなど、多様な趣味を楽しむ女性やさまざまな仕事に就く女性を、最近は○○ガール、××女子などと呼ぶ。土木業界で働くドボジョ、プロレス好きのプ女子という言葉もある▼昔は登山やプロレスに熱中するのは男性が多かった。だからこう呼ばれるのだろう。理系学部や土木業界でも、女性が珍しいからこそのリケジョ、ドボジョ。つまり社会の「少数派」である
人们最近会用“…女孩”、“…女”来称呼那些有着各式爱好或从事各种职业的女性,如“登山女孩”、“理科女”等。类似的词语还有从事土木工作的“土木女”,喜欢看职业摔跤的“摔跤女”。▼过去,热衷于登山和看职业摔跤的多是男性,所以才会有这样的称呼。理科专业和土工工作的情况也是如此,正是由于女性稀少,所以才会有“理科女”“土木女”这样的称呼。也就是说,她们属于社会的“少数派”。
▼イクメンという言葉も育児をする男性が少ないことの裏返し。イクジョと言わないのは「育児は女性の仕事」との考えが根強い証拠だ。男性も育児の苦労を等しく知っていれば、対応も変わったのではないか。熊本市議会の女性市議が生後7カ月の長男と共に本会議に出席しようとし、拒まれた問題である▼議会側は「規則で傍聴人は議場に入れない」と拒否し、開会が40分遅れた。市議は出産前から「議会棟に託児所を。無理ならベビーシッターを」と求めたが、前向きな回答が得られなかったそうだ
▼“奶爸”这个词也恰恰证明了带孩子的男性很少。人们不会说“奶妈”,证明了“带孩子是女性的事情”这种想法根深蒂固。如果男性也同样知道带孩子很辛苦的话,在下面这件事的处理上或许就不一样了。熊本市议会的一名女议员很想带着7个月大的长男出席会议,结果被阻止了。▼市议会方面以“规定不允许旁听者进入会场”为由拒绝她的要求,开会时间因此事推迟了40分钟。该议员在孩子降生前曾要求“在议会楼内设置托儿所,如果有困难的话可以请临时保姆”,但是没有得到积极答复。
▼議会を混乱させたことは問題なしとは言えまい。だが、子育て女性の働きにくさを広く再認識させた点では大きな意味があった。規則をたてに杓子(しゃくし)定規な対応に終始した議会側にも問題はなかったか▼重要なのは、子連れで議会に出席する議員の是非を論じることではない。育児や障害を理由に政治参画が妨げられない環境づくりのはずだ。忘れてはなるまい。2017・12・9
▼扰乱议会难说没有问题,不过此事让更多的人再次认识到了带孩子的女性在工作中的困难,这一点很有意义。以规定为后盾,始终墨守成规的议会方面难道不同样有问题吗?▼不要忘记,重要的不是讨论带孩子出席议会的对错,应该是创造出不会因为育儿或残障而受到阻挠的参政环境。
几篇生肉:
佐賀新聞 有明抄:障害者の日
「こんにちは」のあいさつに「こんにちは」と返してくれた阿比留優輔さんは18歳。佐賀市の障害福祉サービス事業所「レインボーハウス」を今春から利用する。自閉症で、周囲とコミュニケーションをとるのが苦手な彼は、ミカンの皮むき作業が大好き◆やれる作業があるか心配した周囲をよそに、ぴったりと合った。缶詰用に皮をむき、中の小袋を分ける。父親の康弘さんも意外だったという。「バラバラにすれば終わる。分かりやすいのが合ったのだろう」。優輔さんはやる気が出て、家でもニコニコと笑顔が増えた◆作業に疲れると、施設長室のソファに寝っ転がる。それが、彼なりのバランスの取り方だ。ここでは障害者40人ほどが、菓子づくりや紙箱折りなどの内職、廃品回収といった作業に取り組む。それぞれに能力を生かせる得意分野がある◆「小さい時から比べられてきた人生。ほめられてこそ達成感を覚え、次のステップを踏める」とスタッフ。支援をする側も、逆に助けられていると感じるそうだ。利用者から何かをもらっているから疲れない◆障害者と健常者、間に線があるわけではない。ともに弱い人間で、どこか欠けたり破れたりしている。互いに補いながら生きていけたら―。きょうは「障害者の日」。誰もが社会の一員として支え合う「共生社会」に、と思う。(章)
熊本日日新聞 新生面:
1941年12月8日の日米開戦より8日前のこと。昭和天皇に、弟で海軍軍人でもある高松宮さまが面会した。先日原本とされる文書が競売で落札されて話題になった『昭和天皇独白録』に記されている▼高松宮さまが「五分五分の無勝負か、うまくいっても、六分四分の辛勝」との日米戦の見通しを伝えると、昭和天皇は「敗[ま]けはせぬかと思ふ」と述べた。「それなら、今止めてはどうか」と高松宮さまが勧めたが、これには「返事をしなかった」と振り返っている▼開戦日に真珠湾攻撃の成功が伝えられても、昭和天皇の心痛が晴れることはなかったようだ。「極めて沈痛な御様子で、真珠湾の緒戦には幸い成功したが…ねと仰せになっただけでお言葉がない」。侍従次長などを務めた木下道雄の回顧録『宮中見聞録』にある▼昭和天皇は終戦間もない45年9月に、当時11歳だった現在の天皇陛下に手紙を送った。戦争の敗因は「進むを知って退くを知らなかったからです」と。わが子に向けた、率直で悲痛な悔恨の言葉であろう▼慰霊の旅を続け、戦争に至ってしまった昭和の歴史を繰り返し振り返り、平和を祈ってこられた陛下である。その強い思いは、代をまたぎ昭和天皇から濃密に受け継がれたものであるに違いない▼くしくもきのう8日、陛下の退位日を2019年4月30日として、「平成」の世が31年で幕を閉じることを定める政令が閣議決定された。さらに遠くなる「昭和」に思いをはせ、76年前の12月8日の歴史を改めて胸に刻みたい。
長崎新聞 水や空:不戦を誓う日
本紙の前身の長崎日日新聞も、もちろん例外ではなかった。「帝國遂に英米と開戦」と大見出しが躍っている。太平洋戦争の始まりを伝える76年前のきょう、1941年12月9日の紙面▲歴史学者の加藤陽子氏は著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)で、国民が開戦の報を高揚感とともに受け止めたことを指摘している。圧倒的な国力差のある英米にいよいよ大和魂で挑むのだ-と▲著名な中国文学者が〈歴史は作られた。...日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気分であった〉と雑誌に記したそうだ。横浜の駅員は〈...昨日までの安閑たる気持ちから抜け出した。落ち着く所に落ち着いた様な気持ちだ〉と日記に▲悲劇というほかない結末を知る私たちが後知恵で彼らを責めることには何の意味もない。ただ、戦争が暗い顔だけをぶら下げてやって来るわけではないことは何度も学んでおきたい▲決して起きてはならない"次の戦争"もきっと「国民の生命と安全を守らねば、子どもたちの未来を守らねば」「暴挙はこれ以上許されない」と反論しにくい正義を携えてやって来る▲あの日から○年...「カレンダージャーナリズム」への批判は承知している。ならば、それぞれのカレンダーに「不戦を誓う日付」を幾つも増やしておきたい。(智)
江戸情緒の残る参道を抜け、大鳥居をくぐると「立入禁止 警視庁」という黄色の規制線が目を射る。東京都江東区の富岡八幡宮では周辺の辻々に警官が立ち、境内の「横綱力士碑」には近づけなかった▼「深川の八幡さま」と親しまれる神社で、女性宮司と実弟である元宮司、妻の3人が死亡する驚きの事件が起きた。弟が姉に切りつけたらしい。子細はわからないものの、日本刀を振りまわすとは尋常ではない
穿过保留着江户风情的参道、钻过大鸟居后,写有“禁止入内 警视厅”字样的黄色警示带出现在眼前。东京都江东区的富冈八幡宫周围各路口有警察警戒,所以笔者没能看到神社内的“横纲力士碑”。▼在这座被人们亲切地称作“深川八幡大神”的神社内,发生了女宫司、胞弟前宫司以及胞弟妻子三人死亡的惊人事件。听说是胞弟拿日本刀砍杀了姐姐。虽然还不清楚事件缘由,但挥舞日本刀杀人让整件事变得很不寻常。
▼惨劇の報に接して思い出すのは、大竹文雄・大阪大教授らが今年発表した研究成果だ。寺院や神社の近所で育った人は、そうでない人に比べて、人を信頼し、恩を返したいと考える傾向が強い。それが幸福感や健康にもよい影響を与えるという▼いわく、神社は地域社会の拠点で、子ども会行事や清掃、盆踊りなどが盛んだ。親切には親切で報い、労をいとわず人助けをしようという志向が住民に見られるという。なるほど江戸三大祭りで知られる富岡八幡宮のような神社では、いまも地域住民の結びつきは強い
▼听闻惨剧后,笔者想起了大阪大学教授大竹文雄等于今年发表的研究成果:在寺院或神社附近长大的人,较之其他地方的人会更加信赖别人、更懂得报恩,这一点对他们的幸福感与身心健康也大有卑益。▼教授们指出,神社是区域社会的据点,经常组织儿童会活动、扫除、盂兰盆会舞等。附近居民普遍有着以善待善和不辞辛劳、乐于助人的意识。的确,例如因江户三大祭而闻名的富冈八幡宫这样的神社,其附近居民间的关系如今依然很深厚。
▼「江戸屈指の大社で、祭礼のにぎやかさ、各氏子(うじこ)中が趣向をこらして練り出す山車や(略)大神楽(だいかぐら)の美々(びび)しさでも満都に鳴りひびいている」。作家の故杉本苑子(そのこ)さんは小説『永代橋(えいたいばし)崩落』で200年前の活況を描写している。そのころから氏子たちの熱意は格別だったのだろう▼それにしても何が凶行に駆り立てたのか。400年近く信仰を寄せ、祭礼を支えてきた人々にすれば、これほどの落胆はあるまい。
▼“这里是江户数一数二的大社,祭祀仪式之热闹,神社信徒们共同制作的花车(略)还有大神乐舞之华丽,驰名整个江户。”已故作家杉本苑子女士在小说《永代桥 崩落》中描绘了200年前的盛况。大概从那时起,神社信徒们就格外热情。▼即使这样,仍有什么事情驱使凶手行凶吗?近400年间,无数的人将信仰寄托于这座神社,支持着神社的祭祀仪式。在他们看来,应该不会有比凶案更叫人沮丧的事了。
桌上四季:イクジョ 奶妈
山ガールやリケジョなど、多様な趣味を楽しむ女性やさまざまな仕事に就く女性を、最近は○○ガール、××女子などと呼ぶ。土木業界で働くドボジョ、プロレス好きのプ女子という言葉もある▼昔は登山やプロレスに熱中するのは男性が多かった。だからこう呼ばれるのだろう。理系学部や土木業界でも、女性が珍しいからこそのリケジョ、ドボジョ。つまり社会の「少数派」である
人们最近会用“…女孩”、“…女”来称呼那些有着各式爱好或从事各种职业的女性,如“登山女孩”、“理科女”等。类似的词语还有从事土木工作的“土木女”,喜欢看职业摔跤的“摔跤女”。▼过去,热衷于登山和看职业摔跤的多是男性,所以才会有这样的称呼。理科专业和土工工作的情况也是如此,正是由于女性稀少,所以才会有“理科女”“土木女”这样的称呼。也就是说,她们属于社会的“少数派”。
▼イクメンという言葉も育児をする男性が少ないことの裏返し。イクジョと言わないのは「育児は女性の仕事」との考えが根強い証拠だ。男性も育児の苦労を等しく知っていれば、対応も変わったのではないか。熊本市議会の女性市議が生後7カ月の長男と共に本会議に出席しようとし、拒まれた問題である▼議会側は「規則で傍聴人は議場に入れない」と拒否し、開会が40分遅れた。市議は出産前から「議会棟に託児所を。無理ならベビーシッターを」と求めたが、前向きな回答が得られなかったそうだ
▼“奶爸”这个词也恰恰证明了带孩子的男性很少。人们不会说“奶妈”,证明了“带孩子是女性的事情”这种想法根深蒂固。如果男性也同样知道带孩子很辛苦的话,在下面这件事的处理上或许就不一样了。熊本市议会的一名女议员很想带着7个月大的长男出席会议,结果被阻止了。▼市议会方面以“规定不允许旁听者进入会场”为由拒绝她的要求,开会时间因此事推迟了40分钟。该议员在孩子降生前曾要求“在议会楼内设置托儿所,如果有困难的话可以请临时保姆”,但是没有得到积极答复。
▼議会を混乱させたことは問題なしとは言えまい。だが、子育て女性の働きにくさを広く再認識させた点では大きな意味があった。規則をたてに杓子(しゃくし)定規な対応に終始した議会側にも問題はなかったか▼重要なのは、子連れで議会に出席する議員の是非を論じることではない。育児や障害を理由に政治参画が妨げられない環境づくりのはずだ。忘れてはなるまい。2017・12・9
▼扰乱议会难说没有问题,不过此事让更多的人再次认识到了带孩子的女性在工作中的困难,这一点很有意义。以规定为后盾,始终墨守成规的议会方面难道不同样有问题吗?▼不要忘记,重要的不是讨论带孩子出席议会的对错,应该是创造出不会因为育儿或残障而受到阻挠的参政环境。
几篇生肉:
佐賀新聞 有明抄:障害者の日
「こんにちは」のあいさつに「こんにちは」と返してくれた阿比留優輔さんは18歳。佐賀市の障害福祉サービス事業所「レインボーハウス」を今春から利用する。自閉症で、周囲とコミュニケーションをとるのが苦手な彼は、ミカンの皮むき作業が大好き◆やれる作業があるか心配した周囲をよそに、ぴったりと合った。缶詰用に皮をむき、中の小袋を分ける。父親の康弘さんも意外だったという。「バラバラにすれば終わる。分かりやすいのが合ったのだろう」。優輔さんはやる気が出て、家でもニコニコと笑顔が増えた◆作業に疲れると、施設長室のソファに寝っ転がる。それが、彼なりのバランスの取り方だ。ここでは障害者40人ほどが、菓子づくりや紙箱折りなどの内職、廃品回収といった作業に取り組む。それぞれに能力を生かせる得意分野がある◆「小さい時から比べられてきた人生。ほめられてこそ達成感を覚え、次のステップを踏める」とスタッフ。支援をする側も、逆に助けられていると感じるそうだ。利用者から何かをもらっているから疲れない◆障害者と健常者、間に線があるわけではない。ともに弱い人間で、どこか欠けたり破れたりしている。互いに補いながら生きていけたら―。きょうは「障害者の日」。誰もが社会の一員として支え合う「共生社会」に、と思う。(章)
熊本日日新聞 新生面:
1941年12月8日の日米開戦より8日前のこと。昭和天皇に、弟で海軍軍人でもある高松宮さまが面会した。先日原本とされる文書が競売で落札されて話題になった『昭和天皇独白録』に記されている▼高松宮さまが「五分五分の無勝負か、うまくいっても、六分四分の辛勝」との日米戦の見通しを伝えると、昭和天皇は「敗[ま]けはせぬかと思ふ」と述べた。「それなら、今止めてはどうか」と高松宮さまが勧めたが、これには「返事をしなかった」と振り返っている▼開戦日に真珠湾攻撃の成功が伝えられても、昭和天皇の心痛が晴れることはなかったようだ。「極めて沈痛な御様子で、真珠湾の緒戦には幸い成功したが…ねと仰せになっただけでお言葉がない」。侍従次長などを務めた木下道雄の回顧録『宮中見聞録』にある▼昭和天皇は終戦間もない45年9月に、当時11歳だった現在の天皇陛下に手紙を送った。戦争の敗因は「進むを知って退くを知らなかったからです」と。わが子に向けた、率直で悲痛な悔恨の言葉であろう▼慰霊の旅を続け、戦争に至ってしまった昭和の歴史を繰り返し振り返り、平和を祈ってこられた陛下である。その強い思いは、代をまたぎ昭和天皇から濃密に受け継がれたものであるに違いない▼くしくもきのう8日、陛下の退位日を2019年4月30日として、「平成」の世が31年で幕を閉じることを定める政令が閣議決定された。さらに遠くなる「昭和」に思いをはせ、76年前の12月8日の歴史を改めて胸に刻みたい。
長崎新聞 水や空:不戦を誓う日
本紙の前身の長崎日日新聞も、もちろん例外ではなかった。「帝國遂に英米と開戦」と大見出しが躍っている。太平洋戦争の始まりを伝える76年前のきょう、1941年12月9日の紙面▲歴史学者の加藤陽子氏は著書「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)で、国民が開戦の報を高揚感とともに受け止めたことを指摘している。圧倒的な国力差のある英米にいよいよ大和魂で挑むのだ-と▲著名な中国文学者が〈歴史は作られた。...日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気分であった〉と雑誌に記したそうだ。横浜の駅員は〈...昨日までの安閑たる気持ちから抜け出した。落ち着く所に落ち着いた様な気持ちだ〉と日記に▲悲劇というほかない結末を知る私たちが後知恵で彼らを責めることには何の意味もない。ただ、戦争が暗い顔だけをぶら下げてやって来るわけではないことは何度も学んでおきたい▲決して起きてはならない"次の戦争"もきっと「国民の生命と安全を守らねば、子どもたちの未来を守らねば」「暴挙はこれ以上許されない」と反論しにくい正義を携えてやって来る▲あの日から○年...「カレンダージャーナリズム」への批判は承知している。ならば、それぞれのカレンダーに「不戦を誓う日付」を幾つも増やしておきたい。(智)