【日汉对照】宁死勿学生命科学
【日汉对照】宁死勿学生命科学
研究生退学几年后,我终于第一次决定,用完整的文章的形式来写生命科学的现状。这只是缺乏知识和经验的一介学子的意见,不是什么大佬眼中的「现状」,就别对细节吐槽啦。对自己的经历会有简短地涉及,虽然是匿名发文但是写的时候并没有特别在意暴露身份。文章较长,有需要者可跳读。
我高中就读于一所关西无人不知的重点学校。男校。不知想到了什么,那时的我对生命科学产生了极大兴趣(可能和时代的氛围也有关。那时正是人类基因组完全解读的时候),加之离自己家也算近,所以进了京都大学理学部。上课说实话,完全没意思。也没啥系统化的教育,也没教授生命科学的思考方式,感觉就是把乱七八遭的一堆知识灌输了就完事了。现在回头一想,有80%以上的人读研,周围却几乎没有人学过统计学,是件挺可怕的事。一二年级的话专业还没定,周围也就是随手翻翻Cell的程度。
到了大学三年级,每周几乎都在做实验。读说明之后动手。有了一定程度的问题意识,有时候去研究室,有时候参加Seminar。还算充实。在Seminar上增长知识,觉得有趣。但是这时候我就想到,和其他专业相比,我完全没有动脑的感觉啊。paper也是如此,只要知道控制变量的方法和极其基础的统计学知识,不到半小时就能读(只要懂那个水平的单词,谁都能)。这时候我也偶尔考虑过改行或者找工作的事情。
虽然感觉到焦虑,但是文科的那些家伙们也说着类似的话,我就跟自己解释说,这种时候大概谁都是这样想的吧!于是在即将进入大四前略早地进了实验室。生活从此激变。由于处理的是活物,时间上的束缚非常多。一周的绝大多数时间都被拘束,周六日也没有(大四的元旦【日本废除了农历,元旦相当于中国大年初一】在研究室吃的丼兵卫【方便面品牌】)。实验一旦开始,当然就不可能自己想什么时候结束就什么时候结束了。每周有三天熬夜实验,就那样参加Seminar。不过嘛,当时这也不是什么不能忍耐的事情。
当时只是觉得奇怪,学生明明是付钱的客户,却要负担大家所使用的器具和照料动物的费用(这种违和感在之后去海外短期留学,知道那边的情况之后变得更强烈了)。教给我的恐怕就是试剂放在哪里、怎么合成这种程度的知识。
考研前我认真地想过该怎么办。但是自己可以说是「纯粹培养」的产物,不了解社会,研究室内的人际关系也不坏,周围的氛围也是「大家都读研做科研是理所当然」(实际上助教也跟我说过类似的话),所以我就读研了。
终于,生活变成了实验、实验的一天天。实验开始后,连生活协会都去不成,只能天天吃便利店的盒饭。当时唯一的乐趣,是在买盒饭的同时买「巧克力球」,看看能不能中个「黄金安琪儿」(结果,在研究室那段时间一个黄金安琪儿也没中)。到了夏天,身体开始出问题了。早上起不来。同级的研究生和本科生共计7人中已经有5人跑路了。剩下的是我和另外一个人,但是那个人已经基本不来学校了。
难以置信的是,很多人辛辛苦苦进了天下闻名的京都大学的研究生院(现在想起来只能呵呵),却在几个月后纷纷跑路(他们后来咋样了我就不知道了)。器具的和动物的管理的负担当然压在我身上了。即便想去研究室,也恶心得迈不开腿。光是想象自己在做实验的样子,就能让人眼前一暗,身上喷出奇怪的汗水了。在校内行走的时候,也会因为一些小事突然爆发出强烈的感情,对完全不认识的陌生人怒吼。眼前好像总有小蚊子飞过。当时我在抽烟,有时候回过神来才发现一天抽了四包。除了实验的痛苦,对将来的不安变得越来越大,把我击溃了。
秋天来到学校游玩的母亲注意到了我的异常,立刻把我带去了医院。在被带到医院之前,我都不愿意承认自己有了抑郁症,吼了她。但是一承认,我就终于能注意到自己的异常了。我就这样逃跑似地退出了科研,在老家宅了大概半年,啥都没做。
我一读kaz_ataka的文章,当年的经历就在脑海中鲜明地浮现出来。虽然不能说所有的地方都是如此,但是我所在的研究室大概只是把学生当作一种体力劳动力。当然,没有认真调查就轻易决定了研究室确实是我的失误;通过打杂也能学到一点东西。但是,跟离开研究室的同学以及在其他研究室的友人交流后,我总感觉,日本的大学、研究生院的研究室,都缺乏一种「大学在做研究的同时也要教书育人」的自觉。
实际上,我所在的研究科,大多数人都拿不到博士学位。找的工作也让人绝望。导师中虽然也有人感到了危机,但是从学生的立场去看,这个体制看上去就是个强迫年轻人吃亏的体制。一边号称是以科学技术立国,另一边钱却只会到那些能说会道的人的手上。担任过学会会长的某位大佬虽曾说过「日本的科研是靠研究生做出来的,应该给他们都发放能够支持生活的奖学金」。他说得很好听,但“打开一看”,发现却是每人每月2万日圆。这点钱够生活?再说,奖学金不过只是一笔学生贷款而已【日本的「奨学金」其实是贷款】。考虑到生活费,和本科一毕业就工作的人相比,读完博士的人已经额外花了将近1000万了。要是还找不到好工作的话,这读博不就是个「惩罚游戏」?
在我的同学中,确实有毫无抱怨每日每夜拼命进行研究、没有稳定身份也仍然继续向前奋斗的人;但是我是受不了这个。我想这国的伟人,怕是从心底里厌恶着年轻人。当然他们厌恶的也许是日本这国本身。
读了上文,你大概也会明白,我身上确实也有naive的地方。这只是失败例子中的一个。如果在这之后,还有人立志成为生命科学的研究者的话,希望他能从失败中学到一点东西(当然生命科学的研究自身对于社会绝对是有必要的,是很重要的工作)。
毕竟,「愚者从失败中学习,贤者从历史中学习」。
那之后,我拜倒在父母身下,找他们借了钱去海外读了个MBA,终于能做和生命科学毫无关系的工作了。感觉自己真的很幸运。但是要说自己是否幸福呢,那只能说so so吧。
不过,「黄金安琪儿」还是没有抽中。
2009-02-22
■たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない
大学院を中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生の意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。
関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計を勉強している人間はほとんどいなかった。1,2回のうちは系は決まらないので、周りもなんとなくCellをパラパラ眺める程度。
3年生になると週のほとんどが実験。レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他の系のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。paperも、コントロールの取り方と極基礎的な統計の知識さえあれば、30分もかからずに読める(ある程度の単語が分かれば誰でもそう)。このあたりで系の転向や就職活動も少し頭にあった。
焦燥を感じつつも、文系のやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。4回になる前に少し早めに研究室に通い始める。生活はここで激変。生き物を扱う関係で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(4回のお正月は研究室でどんべえ食べていた)。実験も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜で実験してそのままゼミに出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。
ただ、皆が使う器具や動物の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。教えてもらったことといえば試薬の置いてある場所と作り方くらいか。
大学院の試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、研究室での人間関係は悪くなかったし、周りが「当然同じ研究室の大学院に進むんだよね?」という雰囲気(実際に助教にそう言われた)もあり、大学院に進学。
いよいよ生活は実験実験の日々。実験が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみはチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、研究室にいるころには金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の院生や、学部生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど学校に来ていなかった。
信じがたいことに、天下の京都大学大学院(今となってはこんなこと思っていた自分に失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や動物の管理の負担はおれに圧し掛かる。研究室に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が実験している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。実験のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。
秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように研究室を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。
http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/
を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた研究室では、学生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に研究室を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、研究室を去っていた同期や、他の研究室にいる友人と話してみても、日本の大学、大学院の研究室には、「大学は研究機関であると同時に、教育機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。
現実に、おれのいた研究科ではほとんどの人間が博士を取れていない。就職先も絶望的。教官のなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、学生の立場からみると、若い人間に不利益を押し付けているだけにしか見えない構造がある。科学技術立国を目指しながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。学会の長も務めたさる大御所が、「日本の研究は院生によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、学部で就職した人間とくらべて、ドクターを取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。
おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜研究を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。
読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、生命科学の研究者を志す人がいるならば(生命科学の研究自体は社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。
「愚者は失敗から学び、賢者は歴史から学ぶ」
その後、親に拝み倒して借金をして、海外の大学院でMBAをとり、まったく生命科学とは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。
金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。
https://anond.hatelabo.jp/20090222224732