译·校·注丨《伊豆的舞女》10
● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息。
译文
约莫等了十分钟,年轻的三个就到了山顶,大娘在那之后又迟了十分钟才到。
下坡时我和荣吉有意落后,闲闲说着话出发了。走了约莫二町,自下方小舞女跑了过来。
“这下面有口泉,她们叫你们赶快来,没喝,等着你呢。[77] ”
一听有水我跑了起来。树荫的岩石间有清水涌出,泉沿上站着女人们。
“快,您先喝,触过手,水就浑了,而且在女人之后喝怕也不干净。”大娘说。
我把冷冷的水掬一手喝了。女人们轻易没能离开那儿,绞了手巾拭了拭汗。
下了那座山,到下田街道,烧炭的烟雾便数道可见。我们在路旁的木材上落坐休息,小舞女蹲在道上,用桃色的梳子给狗梳着茸毛。
“梳齿会断掉。”大娘责怪道。
“没事,反正在下田要买新的。”
在汤野的时候,我便打算把这把插在前发的梳子要来,所以觉得不该梳狗毛。
见路对过有许多捆矮竹,我和荣吉一面说着拿来当拐杖刚好云云,一面先一步走了。小舞女跑着追来,拿了根比自己个儿还长的粗大竹子。
“你要干啥。”荣吉一问,她略略着了慌,一面向我把竹子伸来。
“给您当拐杖,我把最粗的拔来了。”
“不可以的,偷了粗的马上就会被发现的,给人家看见不就坏了,还回去吧。”
小舞女直折返至竹捆处,又跑了来,这次把一根中指粗细的竹子给了我。然后,把田畦往后背嵌进去似地仰着倒下[78] ,喘不过来气似地等着女人们。
她们与我和荣吉一直隔开五六间的距离走着。
“那有什么,只要拔了,嵌上金牙就成。”小舞女的声音倏地钻入我的耳朵,我便回头看了看,小舞女和千代子正并肩而行,大娘和百合子比之略微落后。似是未注意我的回头,千代子说:
“那倒是,那你告诉他呗。”
好像聊的是我。是千代子说我牙齿不齐,小舞女便提到金牙了吧。虽然好像在聊我的相貌,但我由此感到一种亲密,并不为此苦恼,也无意竖起耳朵谛听。[79] 半晌,一阵低低的语声之后,我听见小舞女的言语。
“好人呀。”
“那倒是,像是个好人。”
“真是好人呀,好人就是好人。”
这话说的既单纯,又带着率真的调子[80] ,语声中把情感上的偏好孩子气地轻轻抛出示人,连我自己都能坦然认为自己是个好人。欣然抬眼眺望明亮的群山,眼睑后边微微作痛。二十岁的我纠结于自省,认为自己的性情因孤儿根性而扭曲,难以忍受这苦闷的忧愁,才跑来伊豆旅行的。所以,自己在世间的寻常意义上看起来是个好人,这于我是无可形容的感激。群山明亮,是因为接近下田的海了。我抡着刚才的竹杖,割掉了秋草的头。
途中,处处的村庄入口都立有标牌。
——乞丐、江湖艺人禁止入村。
[77]原文是“飲まずに待っているから” ,飲まずに是没喝,待っている是等着。
过往译本有的是“大家都等着你呢”→漏译了“没喝”。
78]原文是“田の畦を背中に打ちつけるように倒れかかって”。
过往译本有的是“她身子一晃,险些倒在田埂上”,→“打ちつける”是“打进,敲进,钉进”,即把后背钉进(比喻)田畦,原文没提到她身子晃,也没有 “ 险些”。
有的是“匍匐在田塍上”,匍匐意为“向前趴着前进”,与“钉进田畦”不能等同,而且也没“前进”。
[79]原文是“顔の話らしいが、それが苦にもならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、私は親しい気持になっているのだった”。
过往译本有的是“她们无非是议论我的长相,我不至于不愉快。由于已有一种亲切之情,我也就无心思去倾听”→“有亲切之情(親しい気持になっている )”前面有 ほど ,表示 ほど 前面的内容是“有亲切之情”的体现,也可以理解为一种结果,即,因为感到亲切,所以xxx。关键是,这种体现,也就是亲切之情带来的结果,覆盖多大的范围,该译本的理解明显只覆盖到了 “无心去听( 聞き耳を立てる気にもならない )”,但是,因为原文的“ それが苦にもならないし(不愉快)、聞き耳を立てる気にもならない(无心去听) ”都有“ にも ”而且用“ し ”连接,所以二者明显是并列的,所以覆盖范围应该包括了二者,即:我感到亲切,所以没有不愉快,也无心去听。但该译本将二者割裂了,将原文的一个因果句(亲切→无不快+无心听),分成了两个因果句(谈论长相→无不快;亲切→无心听),这种曲解会使“我”感到亲切的程度,即情感浓度遭到削弱。
有的是“她们好像在对我评头论足,对此,我既不感到难堪,也没有打算侧耳偷听的地步”→首先,原文说的评论对象是长相,而评头论足针对的范围更广;其次,感到亲切和难堪,偷听的关系并不是转折,而是程度修饰。
[80]原文是“明けっ放しな響きを持っていた”,“明っ放し”作为接续词表示一种被置之不理的状态,明けっ放し即极度坦然,敞开的状态;。
过往译本有的是“这言谈纯真而坦率,很有余韵”→首先,“響き”意为声响,常延伸为感觉,不是“余韵”;其次,“明けっ放しな響き”是一个形容词组,即“明けっ放し”是形容“響き”的,这里把坦率和“響き”割裂了。
原文
十分ほど待つと若い三人が頂上に辿りついた。おふくろはそれからまた十分遅れて着いた。
下りは私と栄吉とがわざと遅れてゆっくり話しながら出発した。二町ばかり歩くと、下から踊子が走って来た。
「この下に泉があるんです。大急ぎでいらしてくださいって、飲まずに待っているから」
水と聞いて私は走った。木蔭の岩の間から清水が湧いていた。泉のぐるりに女たちが立っていた。
「さあお先きにお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女の後は汚いだろうと思って」とおふくろが言った。
私は冷たい水を手に掬って飲んだ。女たちは容易にそこを離れなかった。手拭をしぼって汗を落したりした。
その山をおりて下田街道に出ると、炭焼きの煙が幾つも見えた。路傍の材木に腰をおろして休んだ。踊子は道に
しゃがみながら、桃色の櫛で犬のむく毛を梳いてやっていた。
「歯が折れるじゃないか」とおふくろがたしなめた。
「いいの。下田で新しいの買うもの」
湯が野にいる時から私は、この前髪に挿した櫛を貰って行くつもりだったので、犬の毛を梳くのはいけないと思った。
道の向こう側にたくさんある篠竹の束を見て、杖にちょうどいいなぞと話しながら、私と栄吉とは一足先きに立った。踊子が走って追っかけて来た。自分の背より長い太い竹を持っていた。
「どうするんだ」と栄吉が聞くと、ちょっとまごつきながら私に竹を突きつけた。
「杖にあげます。いちばん太いのを抜いて来た」
「駄目だよ。太いのは盗んだとすぐにわかって、見られると悪いじゃないか。返して来い」
踊子は竹束のところまで引き返すと、また走って来た。
今度は中指くらいの太さの竹を私にくれた。そして、田の畦を背中に打ちつけるように倒れかかって、苦しそうな息をしながら女たちを待っていた。
私と栄吉とは絶えず五、六間先を歩いていた。
「それは、抜いて金歯を入れさえすればなんでもないわ」と踊子の声がふと私の耳にはいったので振り返ってみると、踊子は千代子と並んで歩き、おふくろと百合子とがそれに少し遅れていた。私の振り返ったのを気づかないらしく千代子が言った。
「それはそう。そう知らしてあげたらどう」
私の噂らしい。千代子が私の歯並びの悪いことを言ったので、踊子が金歯を持ち出したのだろう。顔の話らしいが、それが苦にもならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、私は親しい気持になっているのだった。
しばらく低い声が続いてから踊子の言うのが聞こえた。
「いい人ね」
「それはそう、いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることができた。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏が微かに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたいのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。
途中、ところどころの村の入口に立札があった。
――物乞い旅芸人村に入るべからず。