译·校·注丨《伊豆的舞女》11
● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息。
译文
六
“甲州屋”木赁旅店在下田北口一进就是。我从艺人们身后经过绕去阁楼般的二楼。在没有天花板,面向街道的窗边坐下,阁楼就支在头上。
“肩痛不痛?”大娘跟小舞女确认了好多次,“手痛不痛?”
小舞女比划了一下打太鼓时美丽的手势。
“不痛,能打,能打的。”
“嗳那就好。”
我试着提起太鼓。
“哟呵,好重”
“那比你想的要重哩,比你的包重哩。”小舞女笑了。
艺人们和同个旅店的人们热闹地招呼着。果然尽是江湖艺人之流,下田的港口似乎就是这种候鸟的巢穴。小舞女总给时不时进来房间的旅店的小孩儿些铜钱[81] ,我正要走出甲州屋,小舞女就抢到玄关,为我摆齐木屐:
“您带我去看电影吧。”又一面自顾自地喃喃道[82] 。
我和荣吉让一个无赖汉似的男人带路走了一程,去了一家据说是前町长当老板的旅店。我泡了澡,和荣吉一起吃了鲜鱼午餐。
“拿这个给明天的法事买些花之类的上供吧。”
这么说着,我把包了一点钱的纸包让荣吉拿了回去。我必须坐明天早上的船回东京了,旅费已经花完了。我推说学校有事,艺人们也没法强留。
午餐过后不到三小时用毕晚餐,我独自往下田北边渡过了桥。登上下田的富士山眺望港口。归途中拐去甲州屋,艺人们正在吃鸡肉火锅晚餐。
“您要不要尝一口看看?女人的筷子插过的是脏,但也能当个笑话哩。”大娘从行李中取出茶碗和筷子,让百合子洗了拿来。
明天就是娃娃的四十九天,至少再延期一天出发吧,大家又如此说,可我以学校作挡箭牌,没有应承。大娘又说:
“那寒假的时候,大家到船前接你吧,把具体日期说下,我们等你呀。你可别去什么旅店,我们会到船前迎你的。”
房里只有千代子和百合子的时候,邀她们去看把戏,千代子却捂着肚子,说:
“我身子不好,那样走受不了的。”面色苍白,委顿的样子。百合子板着脸垂下了头。小舞女在楼下和旅店的孩子玩耍,一见我就磨缠着大娘让我带她去看电影,末了却失了表情似的木然回到我的身边,替我把木屐摆齐。
“什么?就让人带她一个人去不就好了嘛。”荣吉插口道,可大娘似乎没有同意。为什么不能带她一个人去?我实在费解。要出玄关时,小舞女正抚摩着狗的脑袋,一副生疏的模样,我都没好搭话。抬脸看我的气力似乎都没有了。
我独自去看了电影。女辩士在用小油灯朗读影片说明。我旋即离开回了旅店。手肘支在窗槛上,久久地眺望夜间的城镇。灰暗的城镇。似乎隐约听见远方不断有太鼓声传来,莫名眼泪就扑簌簌地掉。
[81]原文“踊子はちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた”,“ちょこちょこ”是“频频,时不时,“ちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供”即“时不时进来房间的旅店的小孩儿”,中文翻译原本可以把这整句拆开,分为:旅店的小孩儿时不时进来房间,小舞女总给他些钱。但是原文的整句是为了照顾到小舞女的主体性,和前后句的节奏,所以此处沿用原文语序。
过往译本有的是“客店的小孩儿小跑着走进房间,舞女把铜币给了他”→ “ちょこちょこ”的确有小跑的意思,但原文“やっていた”是持续态,即小舞女持续地给钱,说明小孩不止来一次,那“ちょこちょこ”就应取“时不时”的意思。
有的是“客店的孩子们摇摇晃晃地走进来,舞女赏给他们一些铜板”→“ちょこちょこ”没有“摇摇晃晃”的意思,且因上述同样的问题,也是语法文意错误。
[82]原文是“呟いた”意为小声嘟哝,喃喃。
过往译本有的是“柔声道”,柔声不是低声,语义不符。
原文
六
甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちの後から屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓際に坐ると、屋根裏が頭につかえるのだった。
「肩は痛くないかい」と、おふくろは踊子に幾度も駄目を押していた。
「手は痛くないかい」
踊子は太鼓を打つ時の美しい手真似をしてみた。
「痛くない。打てるね、打てるね」
「まあよかったね」
私は太鼓を提げてみた。
「おや、重いんだな」
「それはあなたの思っているより重いわ。あなたのカバンより重いわ」と踊子が笑った。
芸人たちは同じ宿の人々と賑やかに挨拶を交していた。やはり芸人や香具師のような連中ばかりだった。下田の港はこんな渡り鳥の巣であるらしかった。踊子はちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた。
私が甲州屋を出ようとすると、踊子が玄関に先回りしていて下駄を揃えてくれながら、
「活動につれていってくださいね」とまたひとり言のように呟いた。
無頼漢のような男に途中まで路を案内してもらって、私と栄吉とは前町長が主人だという宿屋へ行った。湯にはいって、栄吉と一緒に新しい魚の昼飯を食った。
「これで明日の法事に花でも買って供えてください」
そう言って僅かばかりの包み金を栄吉に持たせて帰した。私は明日の朝の船で東京に帰らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都合があると言ったので芸人たちもしいて止めることはできなかっ
た。
昼飯から三時間と経たないうちに夕飯をすませて、私は一人下田の北へ橋を渡った。下田富士に攀じ登って港を眺めた。帰りに甲州屋へ寄ってみると、芸人たちは鳥鍋で飯を食っているところだった。
「一口でも召しあがってくださいませんか。女が箸を入れて汚いけれども、笑い話の種になりますよ」と、おふくろは行李から茶碗と箸を出して、百合子に洗って来させた。
明日が赤ん坊の四十九日だから、せめてもう一日だけ出立を延ばしてくれ、またしても皆が言ったが、私は学校を楯に取って承知しなかった。おふくろは繰り返し言った。
「それじゃ冬休みには皆で船まで迎えに行きますよ。日を報せてくださいましね。お待ちしておりますよ。宿屋へなんぞいらしちゃ厭ですよ、船まで迎えに行きますよ」
部屋に千代子と百合子しかいなくなった時活動に誘うと、千代子は腹を抑えてみせて、
「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって」
と蒼い顔でぐったりしていた。百合子はかたくなってうつむいてしまった。踊子は階下で宿の子供と遊んでいた。私を見るとおふくろに縋りついて活動に行かせてくれとせがんでいたが、顔を失ったようにぼんやり私のところに戻って下駄を直してくれた。
「なんだって。一人で連れて行って貰ったらいいじゃないか」と栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思議だった。玄関を出ようとすると踊子は犬の頭を撫でていた。私が言葉を掛けかねたほどによそよそしいふうだった。顔を上げて私を見る気力もなさそうだった。
私は一人で活動に行った。女弁士が豆ランプで説明を読んでいた。すぐに出て宿へ帰った。窓閾に肘を突いて、いつまでも夜の町を眺めていた。暗い町だった。遠くから絶えず微かに太鼓の音が聞こえて来るような気がした。わけもなく涙がぽたぽた落ちた。