2024.1.10 『天声人语』・田中角荣故居焚毁
田中角栄氏が住んだ「目白御殿」の年始は、かつての東京でちょっとした名物だった。政財界や官僚など、総勢千人近くがあいさつに来る。木遣り歌が披露され、料理がふるまわれる。新潟の貧しい生まれから首相に上り詰めた「今太閤」の栄華を象徴する光景だった。
日本前首相田中角荣生前居住的"目白御殿",每逢新年的时候,可热闹了。政界和商界的官僚大佬们,有近千人,纷纷前来贺年。大家表演田中角荣喜欢的劳动人民的民谣,在宅邸内大摆宴席。这就是出身新泻县贫寒之家,后来一步一步爬上了首相之位"今太阁(现代的丰臣秀吉)"的田中角荣,无限风光荣华的景象。
建物は、進駐軍の将校が使っていた洋館で、手吹きガラスの照明などで飾られていたそうだ。角栄氏が住み始めたのは50年代半ば。後には、故郷のニシキゴイを庭の池に泳がせるようになった。
听说,这里以前是联合国驻军军官的洋楼,装饰着手工吹制的玻璃灯具等。角荣于20世纪50年代中期开始居住于此。后来还曾在庭院水池中饲养故乡的锦鲤。
角栄氏が朝6時に起き、背広に着替えて別館へ行くと、数十組の陳情団が待ちかまえている。それが日常だった。各組5分程度で話を聞くと「ああ、わかった」。目の前で省庁幹部に電話する。何事も即決だった。
角荣每天早晨6点起床,换上西装后去副楼办公时,那里已经有数十组请愿团在等待着。这便是他的日常。给每组5分钟左右的陈述时间,随后当场致电省厅官员解决问题,一切都是当机立断。
盟友だった大平正芳氏は、番記者たちに見つからぬように塀を乗り越えて邸内に侵入したことがある。持参した菓子箱の中には500万円の札束。角栄氏から閣僚人事の了解をとりつけるためだった。
其盟友大平正芳为了躲避蹲点的记者耳目,曾翻墙而入。他带着装有500万日元纸钞的点心盒,以此获取角荣支持他组阁。
権力と人脈と金が集中する。政治裏面史の証人だった目白邸が、全焼してしまった。娘の真紀子氏が「仏壇の線香を消し忘れた」と語っている。悔やんでも悔やみきれぬ思いだろう。
集权力,人脉,金钱于一体,见证了政治阴暗面的这幢"目白御殿",如今却在大火中付之一炬。角荣的女儿真纪子说,"我忘记熄灭佛坛上的香火了",然而已经是追悔莫及。
田中政治とは、未来を信じられた高度成長期の産物と言える。昭和の政治と言ってもいい。鉄道や道路を張り巡らせた「光」と、政治をカネまみれにした「影」。その象徴だった目白邸の焼失に、改めて時代の変遷を思う。残照はいよいよわずかとなり、影ばかりが長く伸びる。
田中政治可以说是对未来充满希望,经济高度成长时期的产物。也可以说是昭和时代的政治的象征。他既有大规模发展铁路的好的一面,也有着权钱交易的不好的一面。而象征着这一切的目白邸全部被烧毁,令我再一次感受到了时代的变迁。落日的余晖一点点散去了,拖出了一条长长的阴影。
注释:田中角荣,1918年出生在日本新泻县的一个农户家庭,父亲为了开办大农场,几乎倾家荡产,后来16岁的田中孤身一人来到东京谋生,干过工地,做过送货员,也做过实习记者,这段期间,他白天上班,晚上上夜校,拿到土木科毕业文凭。田中角容是日本历史上首位没有接受过大学教育的首相,因此被日本的老百姓亲切地称为"庶民宰相"。1972年,田中角荣访华,和毛泽东主席以及周恩来总理见面会谈,实现了中日国交正常化。从此以后,中国和日本两国走上了友好,互相可以往来的道路。
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